大乗寺(郡上市)概要: 清水山大乗寺は岐阜県郡上市八幡町向山に境内を構えている日蓮宗の寺院で、慶長8年(1608)日了上人により創建されました。
日了上人は元々は戦国時代の大名として名を馳せた越前朝倉家の一族で清水三右衛門尉と称していましたが天正元年(1573)織田信長の越前侵攻により朝倉家宗家が滅亡すると出家して妙覚寺(京都府京都市上京区:日蓮宗の本山)に入り日了と改めました。
その後日了は全国を巡錫し慶長8年(1608)に小駄良中桐村(現在の岐阜県郡上郡川合村)に一宇(法華堂)を設け、跡を継いだ日能上人(妙覚寺日奥上人の高弟)が妙覚寺から本尊(十界曼荼羅)を賜り大乗寺を開山しました。
郡上藩初代藩主遠藤慶隆は現在地に堂宇を造営するなど帰依し郡内の総鎮護、祈願寺に定め広く民衆からも信仰されるようになりました。
宝暦9年(1759)に青山幸道が郡上藩に入封すると領内菩提寺の1つに定め篤く帰依し本堂には青山幸哉の位牌が安置、境内には青山幸道4男幸渡の墓碑が建立され寺宝のも数多くの青山家縁の品々を所有しています(青山家の江戸菩提寺は東京青山にある梅窓院)。享和4年(1808)に諸堂が再建され現在残る鬼子母神堂、鐘楼門は当時の姿を現在に伝えられています。
大乗寺本堂は明治5年(1872)に再建されたもので入母屋、銅板葺、妻入、正面向拝付、妻壁には弁柄色に塗られた精緻な力士像の彫刻が施されています。鐘楼門は入母屋、銅板葺、一間一戸、四脚楼門で上層部は鐘楼堂、高欄付、江戸時代後期に建てられた楼門建築として貴重なことから郡上市指定重要文化財に指定されています。
特に鐘楼門は寛政9年(1797)幕府が発令した鐘楼門に関した法によって建てられたもので大乗寺は寛政12年(1800)に在所に伺いを立て、さらに在所が幕府の社寺奉行の許可を得て建築が計画されました。境内には青山幸道4男幸渡の墓の他、歴代住職、佐竹氏(中世の地頭)、宮川孟弼、小出氏(郡上藩筆頭家老)、天方氏(家老)、綾部氏(家老)、赤松氏(藩士)、塩田氏(藩士)などの墓碑が建立されています。宗派:日蓮宗。本尊:十界曼荼羅。
大乗寺:上空画像
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