慈恩寺(郡上市)概要: 鐘山慈恩護国禅寺は岐阜県郡上市八幡町島谷に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。慈恩寺の創建は慶長11年(1606)、当時の郡上藩主遠藤慶隆が半山紹碩禅師(京都妙心寺の定慧円明の十徹の1人)を招いて開山したのが始まりとされます。
境内に嫡男慶勝や生母である智勝院殿の塔所を建立するなど遠藤家の菩提寺として庇護され学問所の格式を得ていました。元和8年(1622)に火災により境内の堂宇が全焼した際も遠藤家の援助を受け庫裏を再建し、寛永8年(1631)には郡上八幡城の2の丸御殿を移築して本堂としています。
上山藩(山形県上山市)から移封してきた金森頼時が元禄13年(1700)に香花所と定め、文化14年(1817)には雲水80余名が修行する大寺として寺運も隆盛しました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により廃仏毀釈運動が盛んになり慈恩寺も衰退し、さらに明治26年(1893)の山津波により多くの堂宇が埋没し20余人の死者を出す大惨事に見舞われました(明治29年:1896年に本堂、庫裏が再建)。
慈恩寺は寺宝が多く花園天皇宸翰御消息は金森頼錦が寄進した、花園天皇が比叡山延暦寺の根本中堂で祈祷した際の礼状と比叡山の繁栄を祈願した文章で昭和24年(1949)に国指定文化財に指定されています。
絹本著色薬師三尊十二神将像は室町時代に製作され、中尊薬師如来、脇侍日光・月光両菩薩、守護神十二神将が描かれたもので昭和47年(1972)に岐阜県指定重要文化財に指定されています。
紙本墨書白隠禅師書は江戸時代中期の高僧で臨済宗中興の祖と称される白隠慧鶴の書として貴重な事から昭和47年(1972)に岐阜県指定重要文化財に指定されています。奥庭である「?草園」は、岩山を背景とする名園とされ貴重な事から昭和44年(1969)に郡上市指定名勝天然記念物に指定されています。
中部四十九薬師霊場第43番札所。山号:鐘山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。
慈恩寺:上空画像
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