池田町(歴史)概要: 池田町は古くから開けていた地域で、願成寺古墳群には5世紀後半から7世紀後半に築造された円墳が111基確認され岐阜県内では最大級の群集墳とされています。又、周囲には願成寺古墳群以外でも300基以上の円墳が点在し当時の池田町は特異な存在だったと思われます。室町時代に入ると美濃国守護職土岐頼清の三男頼忠が領主となり本郷城を築き、子である頼益は地名から池田氏を名乗ります。その後、土岐氏の家臣である国枝大和守為助が城主となり以後、6代にわたり国枝氏が支配します。関ヶ原の戦いで当時の領主修理亮政森が西軍に組した織田信秀に従った為、岐阜城攻略の際、共に焼き払われています。江戸時代に入ると尾張藩領、大垣藩領、天領と分割され明和3年(1766)には大垣藩による増税に抗議して農家3000人の大一揆が発生し多くの犠牲が出ています。
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