高札場(恵那市岩村町)概要: 高札場は主に町の辻のような人が集まりやすい場所に建てられ、「禁制」や「制札」などが掲げられました。明治4年(1971)に禁止となりましたが、生活に密着していた為、地方によっては明治15(1882)〜16年(1883)頃まで続けられた所もあるようです。
案内板によると「高札場とは、江戸時代に、法度や掟書などを書いた木の板(高札)を掲示した施設で、多くの人の目に触れるように、集落の中心や人通りの多い街道沿いなどに設けられていた。岩村の高札場は下町升形の内部、この説明板の反対側の土塁沿いに建てられていた。左手の祥雲寺(西町庚申堂)境内にある高札場は、ここにあったものを模して、平成元年に建てられたものである。」とあります。
高札場が設置された下町升形は岩村城の城下町に設置された3か所の升形の一つで、岩村城の防衛施設の一つとして、通りが全て鍵型で見通しが悪く、周囲を土塁で囲い木戸や同心長屋が設けられました。
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