恵那市岩村町本通り・町並み

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岩村町本通り
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【岩村町本通り】岩村町本通りは岩村城(岐阜県指定史跡・日本百名城)の城下町として整備発展した町です。岩村城は鎌倉時代初期に遠山景朝に築かれ、時代の変遷によって随時整備拡張され特に戦国時代には武田家や織田家、徳川家などの攻防戦が繰り広げられ重要視されました。江戸時代に入ると岩村藩が立藩し、岩村城は藩庁、藩主居館が置かれる中心的な施設となり、城下町は藩都として大いに栄えました。現在の町割は大給松平氏が藩主時代(松平家乗・乗寿:慶長6年(1601)〜寛永15年(1638))に整備されたもので大きく岩村川の北側を武家屋敷、南側を町人町として区画割りされ、さらに町人町は上町、中町、下町に別れ、主に上町は職人、中町と下町は商人が住んでいました。略一直線の町並みには江戸時代に建てられた町屋建築が多く、形式は木造2階建(軒高に制限があり2階の天井が低い厨子2階建)、切妻、桟瓦葺、平入、敷地間口は約4間で、間口に対して奥行のある敷地割りになっていました。町人町の西端には城下町の防衛施設である枡形が設けられ、それより先は明治時代以降に発展した町で特に明治39年(1906)に岩村電気軌道が開通すると駅舎まで道沿いには多くの町屋建築が建てられました。岩村城の城下町内に建てられた江戸時代の町屋建築とは軒の高さが高い事が大きく異なっています。岩村町本通りは現在でも伝統的な商家町の町並みが残され、「伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの」との選定基準を満たしている事から平成10年(1998)に名称「恵那市岩村町本通り伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

【岩村町本通りの見所】−岩村町の町並みの中の見所は、いわむら美術の館(旧柴田家住宅、明治時代建築)、巖邑天満宮(文政5年:1822年、木村知英が九州太宰府天満宮の分霊を勧請、社殿は大正15年:1926年建築)、加納家住宅(岩村藩お抱え鉄砲鍛冶師の邸宅、文化11年:1814年建築、恵那市指定文化財)、高札場(近年復元)、勝川家住宅(江戸時代〜昭和初期建築、岩村城から移築建物有り、恵那市指定文化財)、浅見家住宅(松平家御用達、大庄屋兼問屋、江戸時代末期建築、恵那市指定文化財)、土佐屋(染物業、江戸時代末期建築、恵那市指定文化財)、木村家住宅(問屋職、名字帯刀、寛政年間建築、恵那市指定文化財)、旧石橋家住宅(江戸時代後期建築)、ふれあいの館(旧十六銀行、大正時代建築、近代建築、現在は岩村町の観光案内所)、水野薬局(江戸時代からの老舗薬局屋、「清龍丹」、「新月丸」、「六神丸」、「美顔水」、「百毒下し」、「奇応丸」の古い看板、明治時代初期建築、板垣退助宿泊)、岩村醸造(天明7年:1787年創業、明治時代から本格的な醸造業に移行、主屋は江戸時代建築、装飾看板)、浄光寺(慶長6年:1601年、岩村藩主松平家乗に従い岩村に境内を構えた。土蔵造りの本堂、は明和6年:1769年建築、恵那市指定文化財)などがあります。

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