美濃市(歴史)概要: 現在の美濃市の町並みは慶長5年(1600)の関が原の戦いで功があった高山城城主金森長近が計画したものが基礎になっているとされています。
長近は小倉山城を築き隠居城とし城下には郡上街道や牧谷街道、岐阜街道、津保街道、関街道といった街道を引き込み、長良川舟運の川湊である上有知湊を整備しています。各街道から城下町に入る際には清泰寺や宝勝院、円通寺などの主要寺院を配置し防衛的な配慮も現在に受け継がれています。
慶長16年(1611)、2代長光が幼少で死去したことで上有知藩は廃藩となり小倉山城は廃城となりましたが、新たに幕府の代官所が設けられ、周囲の行政的、経済的中心地として維持されました。
享保8年(1723)の大火以降、防火施設としてウダツを設ける町屋が増え、いつしか富の象徴として本ウダツを掲げる豪商の町屋が軒を連ねるようになりました。
現在も今井家住宅や小坂家住宅、卯建連棟家屋など古い町屋建築が町並みを形成し、江戸時代初期に計画された町割りが残る遺構として大変貴重な存在である事から、名称「美濃市美濃町」、範囲約9.3haが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
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