小倉山城(美濃市)概要: 小倉山城は慶長5年(1600)の関が原の戦いで功があった高山城の城主金森長近が築いた城です。
長近は豊臣政権下で飛騨国を統一し、関が原の戦いで東軍として行動したことで新たに上有知領2万石が加増されました。
慶長10年(1605)、高山藩と高山城(岐阜県高山市)を養子である金森可重に譲ると自らは新領地である上有知に移り小倉山城を築き上有知藩2万石を立藩しています。
小倉山城は小倉山山頂部にも築かれたとされますが、実際の政務は山麓の居館部分で行われ、石垣が設けられたものの比較的小規模の城でした。慶長12年(1607)、長近が死去すると長近の実子である金森長光が新たに上有知藩の藩主となりますが、長光は幼少で後継がなく慶長16年(1611)に死去した事で断絶となり小倉山城は廃城となりました。
その後、幕府の天領となり小倉山城の跡地に代官所が設けられています。現在は麓部に模擬櫓、山頂には天守閣風の展望台が建てられています。
小倉山城:上空画像
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