渡船場灯台(上有知湊)概要: 慶長6年(1601)、関が原の戦いで東軍に付いた金森長近が当地を与えられ、翌年となる慶長7年(1602)に小倉山城の築城と城下町の建設が始まりました。
上有知湊は長良川舟運の重要な拠点として整備され、物資の輸送と共に上流で切り出された木材を組んだ筏の発着場としても大きく発展しました。特に、当地の特産である美濃和紙をはじめ荏胡麻、生糸、酒などが上有知湊を拠点にして各地に運ばれていきました。
明治時代に入ると交通網が発展し舟運が衰退すると共に衰微しましたが、それ以前は美濃国4大川湊(岐阜・大垣・笠松・上有知)に数えられるなど繁栄しました。
現在残されている渡船場灯台は江戸時代末期に建てられたもので上有知湊の守護神である住吉神社の献灯を兼ねた高さ9mの住吉灯台(大阪の住吉神社の灯台を模したもの。)で、全国的に見ても現存する数少ない川湊灯台として貴重な存在です。上有知湊跡は昭和45年(1970)に岐阜県指定史跡に指定されています。
上有知湊:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-美濃市教育委員会
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