墨俣宿本陣(大垣市)概要: 東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ美濃路の宿場町である墨俣宿の本陣です。案内板によると「 すのまたは古くから宿駅として発達し、室町末期に上宿から中町、本町、西町へ街道が移り慶長年間この地に墨俣宿本陣が置かれ初代を沢井九市郎正賢という2代以後代々沢井彦四郎を名乗り明治に至るまで13代続く。徳川時代勅使、大名、朝鮮琉球使節等の休息所となり栄えた。」とあります。
慶長5年(1600)には伊達政宗が宿泊所として利用した事から伊達様御本陣とも呼ばれました(伊達政宗は関ヶ原の戦いの際、本領である陸奥国(現在の宮城県や福島県など)に布陣している為、上方から帰国の際に墨俣宿本陣を利用したと思われます)。
江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人である頼山陽とも交流があり、当時の澤井彦四郎は彼が提唱した山陽の学風や書風を学び、頼山陽が墨俣宿を利用した際には澤井家を宿所や休息所で利用し親交を密にしたそうです。墨俣宿本陣の跡地は歴史的に貴重な事から名称「本陣跡(澤井家)」として昭和49年(1974)に大垣市指定史跡に指定されています。
墨俣宿本陣:上空画像
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