宇喜多秀家陣跡(関ヶ原町)概要: 宇喜多秀家陣跡は岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原に鎮座する天満神社の境内と云われています。案内板によると「 西軍副大将の秀家は、1万7千の兵を配して中山道をおさえました。午前8時頃東軍福島勢の猛攻から戦いは始まり、秀家の前衛明石全登の隊との激突となりました。宮本武蔵が奮戦したのもこの辺りといわれています。秀家は敗走中池田郡白樫村の矢野五右衛門に助けられ、その後八丈島へ流され、83才まで生き延びています。 関ヶ原町 」とあります。
宇喜多秀家は豊臣秀吉子飼いの武将で、養女である豪姫(前田利家の娘)を正室を迎え、秀吉の秀の字を賜わるなど絶対の信頼を寄せられ、後年には備前岡山57万4千石の大大名となり五大老にも列しました。
関ヶ原の戦い後は一時島津領に潜伏しましたが3年後に身柄が徳川方に引き渡されます。西軍で副将にあたる立場だった為、死罪が求められましたが、豪姫の実家である前田家の懇願もあり久能山に幽閉の後、八丈島に流されました。
宇喜多秀家陣跡:上空画像
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