円徳寺:岐阜県岐阜市

 岐阜県:歴史・観光・見所(ホーム)>円徳寺
【 概 要 】円徳寺岐阜県岐阜市)は寿永2年(1183)に寂円によって創建された寺院です。その後浄土真宗に改宗し常泉坊に寺号を改めています。戦国時代に織田信長が美濃国(現在の岐阜県)に進出すると本城となった岐阜城(当時の稲葉城)の城下町の活性化対策が行われ、その基になったとされる「楽市楽座」の許可が円徳寺の門前町に発布されました。現在知られている「楽市楽座」の禁制(国指定重要文化財)が円徳寺のものが最古である事から「楽市楽座」発祥地と言われています(楽市楽座の記録的初見は天文18年:1549年、六角定頼が居城である観音寺城(滋賀県近江八幡市安土町)の城下町石寺に発布したとされます。)。慶長5年(1600)に行われた関ヶ原の戦いでは、天正20年(1592)以来、岐阜城13万石の城主になっていた織田秀信(織田信長の嫡孫、織田信忠の嫡男)が石田三成の要請に応えて西軍に与した為、豊臣家を見限った池田輝政や福島正則らに侵攻を受け岐阜城は落城、秀信は切腹しようとしましたが輝政の説得により円徳寺で剃髪し高野山に送られました。しかし、高野山側は織田信長の紀州征伐の際に高野聖数百人を安土において処刑した事を恨みを持つものが多く入山を拒否、その後、入山が許されたものの迫害もあり江戸時代初期には下山を余儀なくされたそうです。秀信が死去した観音寺には位牌が安置され、大正時代には円徳寺の住職により秀信の事跡を綴った石碑を建立されています。円徳寺の境内には織田信長が永禄7年(1564)に寄進したと伝わる梵鐘(岐阜市指定文化財)や安永5年(1776)に改葬されたと伝わる織田塚(岐阜市指定史跡)などがあります。

[ 岐阜県日本三大(下呂温泉・岩村城・白川郷) ]・[ 岐阜県の重伝建地区(白川郷荻町・高山市・岩村町・美濃市) ]・[ 行基菩薩 ]・[ 松尾芭蕉 ]・[ 日本武尊 ]・[ 飛騨一宮水無神社(日本神社100選) ]・[ 南宮大社(日本神社100選) ]・[ 円徳寺(名刹巡礼 古寺100選) ]・[ 華厳寺(名刹巡礼 古寺100選) ]・[ 横蔵寺(名刹巡礼 古寺100選) ]・[ 飛騨街道・町並み ]・[ 岐阜県の伝統的・町並み(明智町・郡上八幡北町・馬籠宿) ]・[ 岐阜県の伝統的・町並み(大湫宿・下呂温泉・高山市三町・高山市下二之町大新町) ]・[ 岐阜県の伝統的・町並み(美濃町・岩村町・白川郷荻町) ]・[ 中山道・町並み(岐阜県) ]
※ このサイトは「ぴあレジャーグループ」の「名刹巡礼古寺100選」で選定された寺院を取り上げています。ただし、写真は独自に撮影し、内容自体は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考に編纂しています。相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、写真や文章のコピーは遠慮してください。御理解の程よろしくお願いします。