真禅院(垂井町)概要: 朝倉山真禅院は岐阜県不破郡垂井町宮代に境内を構えている天台宗の寺院です。真禅院の創建は天平11年(739)、行基菩薩が当地を訪れ、自ら阿弥陀如来像を彫り込み安置したのが始まりと伝えられています。天平12年(740)には聖武天皇が行幸するなど当時から広く知られた存在でした。当初は宮処寺と称していましたが延暦年間(782〜806年)、勅令により最澄が南宮神社(現南宮大社)の神宮寺とし、以来、神仏習合の形態をとりました。
天慶2年(939)に平将門の乱が起きると朱雀天皇の勅令により祈祷、祈願が行われ、念願成就すると寺領の寄進と勅額を賜わっています。さらに康平2年(1059)、前九年の役の際、安部貞任追討の祈願が後冷泉天皇の勅令により行われています。歴代領主からも庇護され、文亀元年(1501)の火災で焼失した際には当時の美濃守護職土岐政房により再建され、天正17年(1589)には豊臣秀吉から供田160石、寺社堪忍分200石が寄進されました。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの兵火により多くの堂宇が焼失しましたが、江戸時代に入ると徳川家が庇護し、慶長14年(1609)には徳川家康より社領405石が安堵され、寛永19年(1642)には3代将軍徳川家光により堂宇が再建されました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により南宮大社から分離し、多くの堂宇が現在地に移され寺号を真禅院に改称しています。西美濃三十三霊場旧第十七札所。美濃七福神(大黒天)。山号:朝倉山。宗派:天台宗。本尊:無量寿如来(阿弥陀如来:南宮大社の旧本地仏)、十一面観世音菩薩。
真禅院本地堂は寛永19年(1642)に3代将軍徳川家光が家臣である岡田将監を造営奉行として再建され、明治時代初期に南宮大社の境内から現在地に曳家された建物で、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き(元桧皮葺き)、妻入、桁行3間、張間4間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、木部朱塗り、内部は正面1間分が外陣、背後3間分が内陣で構成され、床は板敷、天井は格縁天井、内陣には来迎柱が設けられ、中央には須弥壇が設置、厨子には本尊(阿弥陀如来)が安置されています。真禅院本地堂は江戸時代初期の御堂建築の遺構として大変貴重な事から昭和52年(1977)に国指定重要文化財に指定されています。
真禅院三重塔は寛永19年(1642)に3代将軍徳川家光が家臣である岡田将監を造営奉行として再建され、明治時代初期に南宮大社の境内から現在地に曳家された建物で、宝形屋根、本瓦葺き、高さ25.38m、桁行3間、張間3間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、木部朱塗り、彫刻部極彩色、内部は四天柱と来迎壁が設置され本尊の大日如来像が安置されています。真禅院三重塔は江戸時代初期の寺院層塔建築の遺構として大変貴重な事から昭和52年(1977)に国指定重要文化財に指定されています。
朝倉山真禅院の文化財sannjyuunotou
・ 本地堂−寛永19年−国指定重要文化財
・ 三重塔−寛永19年−国指定重要文化財
・ 梵鐘−平安時代中期−国指定重要文化財
・ 鐘楼−寛永19年−岐阜県指定有形文化財
・ 薬師如来−岐阜県指定有形文化財
・ 鉄塔−応永5年−岐阜県指定有形文化財
・ 観音堂−垂井町指定文化財
真禅院:上空画像
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