美濃市美濃町: 小坂家住宅

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美濃市美濃町・小坂家住宅
【 小坂家住宅 】小坂家は屋号「杉本屋」を掲げた商家で、古くから酒造業を生業としていました。酒造業は有力者しか許可されなかった事から小坂家も相当な家柄だったと思われます。現在の主屋は最古の祈祷札が安永2年(1773)、墨書には安永元年(1772)、屋根瓦の箆書には明和9年(1772)の年号が見られる事から概ねこの頃に建築されたと推定され、ウダツ飾りには鬼瓦を採用されず、かつては屋根の中央にもウダツがあり、帳場の構え等古式を伝えています。又、屋敷内にある主屋から酒蔵まで多くが江戸時代の建築物が残され、美濃町を代表する町屋建築として大変貴重な存在です。

【 所在地 】岐阜県美濃市相生町

【 建築年 】−江戸時代中期:安永2年(1773)

【 構  造 】−木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、桁行6間、梁間8間半

【 備  考 】−国指定重要文化財

【 美濃市美濃町 】−江戸時代初期の慶長10年(1605)、金森長近が養子である金森可重に家督を譲った事に伴い、関ヶ原の戦いで加増された2万石を持って隠居城である小倉山城を築きました。美濃町はその城下町として町割りされた町で、長近の実子である長光が後を継ぎ正式に上有知藩が立藩すると藩都として領内の行政、経済の中心的な存在となりました。、慶長16年(1611)に金森家が断絶し上有知藩が廃藩になると尾張藩領となり、小倉山城の跡地には尾張藩の代官所が設けられ城下町の町割りは引き続き継承されました。特に長良川舟運の拠点となる上有知港が大きく繁栄すると、主産業の一つ美濃和紙の生産地、集積地として賑わうようになり間口の広い豪商が屋敷を構える現在の町並みが形成されました。現在でも当時の町並みが色濃く残され国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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