十八屋(間家住宅)概要: 十八屋は東美濃の豪商といわれた間杢右衛門家の親戚筋で、中津川宿の旅籠を営んだ家柄です(当時の中津川宿では宿場の役人だけが旅籠を経営しているので、間家も身分が高い商人だったと思われます)。文久元年(1861)10月29日、公武合体政策により皇女和宮が江戸に下向した際、皇女は中津川宿本陣に宿泊し十八屋では京都御供が宿泊しています。
元治元年(1864)には水戸天狗党(水戸藩の尊皇攘夷派が天狗党を結成し上洛を目指した。諸藩には追討令が出され越前国新保宿で鎮圧された。)の負傷した若い武士を囲い、そのまま死去したとされ遺品が残されているそうです。
現在の建物は江戸時代中期に建てられたもので、木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、軒高が低く下屋庇が設けられています。改修はされているものの上がり框や天井の梁などは当時のままとされます。
十八屋:上空画像
|