郡上市: 白山長滝寺

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概要・歴史・観光・スポット

白山長滝寺(郡上市)概要: 白山長滝寺は岐阜県郡上市白鳥町長滝大門に境内を構えている天台宗の寺院です。白山長滝寺の創建は養老元年(717)、泰澄大師(白山を開山)が白山中宮長滝寺として開いたのが始まりと伝えられています。

養老6年(722)、元正天皇の病気快癒の祈願が行われ、見事病気が平癒したことから十一面観音像、聖観音像、阿弥陀如来像が奉納され、歴代朝廷から崇敬されるようになりました。当初は法相宗でしたが天長5年(828)に天台宗に改宗し比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本)の別院になりました。

古くから長滝白山神社と神仏習合し美濃馬場と呼ばれ、加賀馬場(白山比盗_社:石川県白山市)と越前馬場(平泉寺白山神社:福井県勝山市)と共に白山信仰三馬場の1つに数えられました。白山信仰が盛んになると寺運が隆盛し、最盛期には堂社三十余宇、六谷六院、僧坊三百六十を擁する大寺となりましたが平安時代後期の治安3年(1023)の山津波により大きな被害を受け六十余坊が土砂に埋まりました。

歴代領主から庇護されたものの次第に衰退し戦国時代に浄土真宗が席巻すると多くの末寺が改宗、それでも江戸時代には郡上藩(藩庁:郡上八幡城)からは寺領76石が安堵され20余坊、数院を擁していました。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により長滝白山神社から分離し、明治32年(1899)の大火により白山長滝寺の多くの堂宇、寺宝が焼失したことで大きく衰退し、僧坊も阿名院、経聞坊、宝幢坊の数坊を残すのみとなりました。宗派:天台宗。本尊:釈迦如来。

白山長滝寺は寺宝は多く「木造釈迦三尊像(制作年:13世紀末〜14世紀初、一木割矧造、玉眼、金泥彩、釈迦如来:像高52.0cm・文殊菩薩:像高30.0cm・普賢菩薩:像高30.0cm)」、「木造四天王立像(制作年:13世紀半頃、寄木造、玉眼、持国天:像高103.8cm・増長天:像高102.5cm・広目天:像高102.5cm・多聞天:像高101.5cm)」、「木造韋駄天立像・木造善財童子立像(制作年:中国・南宋時代、長瀧寺経蔵の本尊、木造韋駄天立像:像高97.3cm・木造善財童子立像:像高64.5cm)」、「宋版一切経(中国南宋の紹興2年:1132年頃、前密州観察使王永従の一族が発願、思渓の円覚院で開版、196函、3752帖)」が国指定重要文化財に指定されています。

長滝寺本堂は昭和11年(1936)に造営されたもので木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行8間、張間6間、外壁は真壁造板張り。薬師堂は木造平屋建て、宝形造、銅板葺き、桁行2間、張間2間、外壁は真壁造板張り、堂名から察すると薬師如来が祭られていると思われます。

境内には白山からの伏流水とされる「延年水」又は「千蛇ヶ清水」と呼ばれる霊水が薬師堂の近くから湧き出しており、池の中島には弁財天堂が建立されています。金剛童子は白山修験では信仰の対象として非常に重視され、金剛童子堂では、左めじの木を奉納したり、御堂を石を持ちながら息を止め3周すると力が授かると云われています。金剛童子堂の前には円を石で囲うような護摩壇が設けられ、白山登拝者の護摩行が行われていました。

白山長滝寺:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板


白山長滝寺:ストリートビュー

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白山長滝寺:写真

白山長滝寺境内から見た本堂正面
[ 付近地図: 岐阜県郡上市 ]・[ 郡上市:歴史・観光・見所 ]
白山長滝寺本堂右斜め正面 白山長滝寺境内から見上げた薬師堂 白山長滝寺薬師堂の下に流れる「延年水(千蛇ヶ清水)」 白山長滝寺の池の中島に建立されている弁天堂
白山長滝寺参道沿いに安置されてる石仏 白山長滝寺境内に流れ落ちる「延年水(千蛇ヶ清水)」 白山長滝寺参道沿いにある手水舎 白山長滝寺参道沿いにある金剛童子堂と護摩壇跡


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