長国寺(大井宿)概要: 稲荷山長国寺は岐阜県恵那市大井町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。長国寺の創建は不詳ですが縁起によると大宝2年(702)に行基菩薩が観世音菩薩像を彫り込み安置したのが始まりとも、聖徳太子が彫り込んだ観世音菩薩像が当地に飛んできて三郎と称する人物が安置したのが始まりとも伝えられています。
江戸時代初期に書き写された「長國寺縁起」では飛鳥時代に当時の摂政で朝廷の実力者である聖徳太子が、百済(朝鮮半島南部に成立した古代国家)から持ち込まれた霊木(香木)から1尺2寸余(約360cm)の自ら観音像を彫刻し、法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町)の夢殿で祭っていたところ、突然、観音像が神々しい光を放ちながら飛び上がり東の方向に向かい姿を消しました。すると、観音像は大井の白坂に出現し、それを見つけた三郎を名乗る住民が一宇を設けて観音像を祭ったのが始まりとされます。
元慶5年(881)に覚源和尚(智証大師円珍の弟子、円珍は天台寺門宗の宗祖、入唐八家の1人に数えられた天台宗の高僧として知られていました。)が正式な寺院として整備され寺号を「船岡山長興教寺」としています。鎌倉時代には幕府御家人の根津甚平が当寺に子宝祈願し見事、子供(小太郎)が懐妊した事から本尊に感謝の意から馬具(恵那市指定有形文化財)を奉納、その後は特に子授、安産に御利益があるとして信仰を広めました。
当初は長興寺と称していましたが永正8年(1511)の美濃国守護職の土岐氏と信濃守護職の小笠原氏との対立による兵火により多くの堂宇、記録、寺宝が焼失、慶長元年(1596)に體巌雲恕和尚(岐阜県瑞浪市日吉町の開元院の僧)を招いて曹洞宗の寺院として再興再建後に現在の寺号である「長国寺」に改称しています。江戸時代初期の延宝年間(1673〜1680年)に現在である中山道大井宿(恵那市大井町)近くに境内を移しています。
長国寺は寺宝が多く、體巌雲恕座像(17世紀製作)と仏涅槃図(寛文11年:1671年、絵師:柏屋庄右衛門)、馬具(江戸時代製作:鞍・鐙・轡・はみ)が恵那市指定有形文化財に指定されている他、慶長19年(1614)に書写された「長国寺縁起」には西行の終焉や葬送の様子が記され、境内には西行法師のものと伝わる位牌が残されています。
長国寺山門は入母屋、本瓦葺、正面唐破風、一間一戸、四脚楼門形式、上層部は高欄が廻り、外壁は板張、花頭窓付。本堂は寄棟、桟瓦葺、平入、桁行7間。観音堂は入母屋、桟瓦葺、妻入、正面1間向拝付、桁行4間。恵那三十三観音霊場4番札所(札所本尊:千手千眼観世音菩薩・御詠歌:こゑなくば いかですぐさむ 長國寺 まだ夜ふかきに 鳴くほととぎす)。中部四十九薬師霊場番外寺院。山号:稲荷山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。
長国寺:上空画像
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