女郎塚(伏見宿)概要: 案内板によると「 由来 関が原の合戦(1600年)後、中仙道は整備され京と江戸を結ぶ重要な裏街道となった。元禄7年(1694年)太田宿と御嵩宿の中間、この伏見に宿場が新設され以来伏見は宿場街として栄えた。里人達はこの繁栄は旅人達のお陰だと感謝して力を合わせて、ここに塚を築き観音様を祀り旅人の道中安全を祈願した。里人達はいつとはなく、この塚を女郎塚と愛称し信仰した。又、一説にはこの伏見宿には数多くの飯盛女が働いていたが、この女子家中には身寄りのない人も随分にたので、この塚に懇に葬ったので女郎塚というように成ったともいわれている。この塚の上には数多くの石仏が祀られている。」とあります。
女郎塚は洞興寺境内にある土盛で数多くの石仏が建立されています。脇には子安観音堂(宝形造、桟瓦葺、桁行2間、梁間2間、正面1間向拝)が建立され信仰の対象になっています。
女郎塚:上空画像
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