御嵩町(歴史)概要: 古くから交通の要衝として知られ、東山道が開削すると多くの文人墨客、旅人が利用し、寛仁3年(1019)には平安三大女流歌人に数えられた和泉式部もこの地を訪れ病気によって亡くなったと伝えられています。
中世は小栗氏が支配し、小領主ながら度々高山に進出しますが、その都度撃破され、その時々で武田氏や織田氏に臣従することでかろうじで命脈を保ちました。
江戸時代に入ると中山道が開削され御嵩町では49番目の御嶽宿、50番目の伏見宿(当初は木曽川の下流に土田宿が設けられましたが洪水などで被害があった為、土田宿は廃宿として新たに伏見宿が設けられました。)が設けられました。
御嵩宿には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠28軒、伏見宿では本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠29軒が設置され御嵩宿は最澄が開いたと伝わる願興寺の門前町として、伏見宿では多くの飯盛女が雇われ繁栄したそうです。
御嵩町・歴史・観光・スポットの動画の再生リスト
|