御嶽宿本陣(御嵩町)概要: 御嶽宿本陣は慶長7年(1602)に御嶽宿が徳川家康より中山道の宿場として認められたのと同時に野呂家が代々その任を担い同年の2月24日には「御嶽宿伝馬掟朱印状」が発布されています。本陣は大名や公家など身分が高い人物が休憩や宿泊で利用した為、建物も格式が高く、門や式台付の玄関、上段の間などが備えられ、野呂家でも前棟、奥棟合わせて室数24、畳数172畳、敷地181坪の規模を誇ったとされます。文政6年10月14日(1809年11月21日)には伊能忠敬が第七次測量の際に野呂弥五右衛門宅で宿泊し、代官手付吟味方である杉本八五郎が見舞いに来た事や井尻村字鬼門坊に和泉式部廟があった事などが日記に記されています。
御嶽宿本陣の建物は明治と大正に改築され、背後が駐車場になるなど規模が縮小されていますが門構え(切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門)などは当時の威容が感じられます。
御嶽宿本陣:上空画像
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