瑞浪市・歴史・観光・スポット

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概要・歴史・観光・スポット

瑞浪市(歴史)概要: 瑞浪市内の縄文時代の遺跡は24箇所確認され、日吉町本郷から石製勾玉が、日吉町南垣戸の大洞遺跡からは石皿・叩石・磨石などが発見され、当時から人々の生活が営まれていた事が判ります。

土岐市内には現在知られているだけでも円墳約129基、横穴墳約55基あるとも云われ、古墳時代には既に身分が明確となり首長と呼ばれる存在が居た事が窺えます。

戸狩荒神塚古墳は5世紀頃に築造された円墳で、直径約57m、高さ約9m、円墳の規模としては瑞浪市最大で、岐阜県内でも最大級を誇り、貴重な事から岐阜県指定史跡に指定されています。

戸狩荒神塚古墳から100m程離れた所に位置する戸狩横穴群は6世紀後半から7世紀頃に設けられたもので、13基の横穴が確認され、貴重な事から岐阜県指定史跡に指定されています。

律令制度下で土岐郡六郷が定められ東山道が開削されると瑞浪市内もその経路となり、「和名抄」で駅家郷と記されている所に比定されている釜戸字釜戸には駅家である土岐駅が設置されていました。

瑞浪市内には延喜式神名帳に記載されている式内社はありませんが、美濃国神名帳には土岐郡に正一位:酒波大神、従五位下:垣野明神、従五位下:尋河明神、従五位下:田只味、従五位下:高田明神、従五位下:大縣明神、従五位下:神野明神、以上、七坐が記載されています。

一方、弘仁3年(812)には嵯峨天皇の勅願で三諦上人覚祐が桜堂薬師を開創し本格的に仏教の布教が始まっています。

瑞浪市は軍事的に重要視された地域で、鎌倉時代に入ると土岐氏が入部し、土岐光衡、又は土岐光信、あるいは土岐国房が鶴ヶ城を築いて3代にわたり本拠地にしたとされます。

その後、頼衡が麓に一日市場館を築き、歴代土岐家の居館とし、鎌倉時代末期から建武の新政にかけて土岐頼貞が足利尊氏に従い功績を挙げた事で、「土岐絶えば足利絶ゆべし」、「諸家の頭、筆頭の将」と謡われました。

頼貞は美濃国守護職に抜擢され、新たに長森城を築き本拠地を遷し、土岐氏発展の基礎を築きました。

頼貞が暦応2年(1339)に死去すると、菩提寺である光善寺に葬られ、頼貞の墓碑と思われる宝篋印塔は貴重な事から岐阜県指定史跡に指定されています。

その後、土岐家の庶流で土岐郡の国人領主となった延友氏が支配し、延友信光は神篦城や鶴ヶ城を本拠地としました。

本家筋の土岐家が斎藤道三の台頭により没落すると、東濃地方は一時、遠山氏が支配しますが、その後は織田氏と武田氏の争奪戦の舞台になった為、信光は尾張の織田信長に転じています。

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信光は、武田家の重臣秋山虎繁が護る岩村城攻めに協力し、その恩賞として日吉郷と釜戸郷が与えられています。

一方、土岐郡尾里邑は土岐家の庶流の小里氏が支配し、天文3年(1534)には小里光忠が小里光忠が小里城を築いています。

光忠は武田信玄の美濃侵攻により、縁戚関係の遠山氏と共に武田家に従いましたが、その後、織田信長に転じ、岩村城攻めで織田方に協力しています。

小里城は信長の甲斐侵攻の拠点の一つとして重要視され、岩村城が落城した後も重要な出城として機能しました。

天正10年(1582)に発生した本能寺の変後、小里光明は織田信孝に仕えましたが、信孝は豊臣秀吉に敗れ、自身も秀吉に従った森長可に攻められ、徳川家康を頼って落ち延びています。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで、小里光親は東軍として岩村城攻めに従軍し、その功績から土岐、恵那郡の旧領3千5百石が安堵され、復権を果たすと幕府旗本に列しています。

光親は小里城の麓に陣屋を構え、小里氏の菩提寺となる興徳寺を創建しましたが、元和9年(1623)に跡を継いだ小里光重が嗣子が無く死去した事から断絶し、旧小里領地は天領となっています。

釜戸馬場氏は木曾義仲の後裔を自称し長く木曽地方の領主だった木曾家の庶流とされ、関ヶ原の戦いの際に馬場昌次が東軍として岩村城攻めや明知城攻めに従軍しています。

昌次は功績を挙げた事から土岐、可児、恵那郡内1千6百石が与えられ、幕府旗本に列し、その後、2千6百石に加増、釜戸陣屋を領内行政の拠点としました。

明暦3年(1657)に馬場利尚は弟である馬場利興に600石を分知した事で、2千石となり、明治維新を迎えています。

江戸時代に入り、中山道が開削すると瑞浪市内には47番目の宿場町大湫宿と、48番目の細久手宿が開宿し交通の要衝として発展しました。

江戸時代後期の記録によると大湫宿には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒、細久手宿には本陣1軒(尾張藩は大国屋)、脇本陣1軒、旅籠24軒で構成され、両宿とも尾張藩に属していました。

特に大湫宿は当初は尾張藩の木曾産の木材を管理する役所である川並奉行所、後に白木番所が設置され、幕末には皇女和宮の宿泊地となっています。

又、丘陵地帯には良質の陶土が産出した事から、古くから美濃焼の原産地として茶碗、皿などの陶磁器産業が発達し、現在に継承されています。

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