興徳寺(瑞浪市)概要: 金源山興徳寺は岐阜県瑞浪市稲津町小里 に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。興徳寺の創建は慶長6年(1601)、小里光親が父親である小里光明の菩提を弔う為、尾里氏時代の菩提寺であった大蔵寺を移し菩提寺として開いたのが始まりとされます。慶長14年(1609)に洪水で大破した為に現在地に再建され小里家歴代の菩提寺として篤く庇護しました。小里氏は土岐家の一族衆として古くから当地を支配し戦国時代には織田信長に仕え、小里城が武田家に対する最前線の拠点として重要視され岩村城攻防戦でも大きな役割を担っています。
天正10年(1582)の本能寺の変で信長が倒れると織田信孝に仕えましたが、信孝と羽柴秀吉との対立により、秀吉の家臣森長可に侵攻を許し小里城は落城、三河国足助の鈴木信義を頼り、三河の徳川家康に仕えるようになりました。
慶長5年(1600)の関が原の戦いでは東軍に与し、旧居城だった小里城に入ると明智城や岩村城の攻防戦に功を挙げ、戦後には土岐郡(一部)と恵那郡(大川村と水上村)が与えられ3千5百8十石が安堵され旧領に復帰し旗本に格付されました。光親の子供である光重は嗣子がないまま元和9年(1623)、享年20歳で死去した為小里家は断絶し興徳寺も庇護者を失いました。
興徳寺が所有している菅原道真公神像(木造菅公像)は延文2年(1357)に能登守源頼幸が願主となり大仏師法橋宗慶が彫刻したもので(寛文9年:1669年、全源宗耽が願主となり尾州熱田出身の仏師宮内光重が修復)、檜材、寄木造、彩色、像高35cm、面奥8.3cm、膝張り30cm、膝高8cm、昭和31年(1956)に岐阜県指定重要文化財に指定されています。
興徳寺所蔵の茶壺は恵那郡大川村出身の陶工羽柴与左衛門景度(大川窯開祖加藤左衛門尉景信の4代目)が製作したもので昭和54年(1979)に瑞浪市指定文化財に指定されています。興徳寺の本堂には小里光明・光親・光重3代の位牌が安置され境内には3代の墓碑が建立されています。美濃瑞浪三十三霊場第13番札所。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。
興徳寺:上空画像
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