鶴ヶ城(瑞浪市)概要: 鶴ヶ城は瑞浪市土岐町鶴城地区に位置しています。 鶴ヶ城の築城年は諸説あり、鎌倉時代初期の建仁元年(1201)、源頼朝から美濃守護職を任命された土岐光衡が築いたとも、従五位上出羽守となり初めて土岐氏を名乗った光信が築いたとも、美濃守であった源国房が築いたとも云われていますが、何れにしても鶴ヶ城は鎌倉時代初期に築かれたと推定されています。鶴ヶ城は鎌倉時代末期に土岐頼遠の弟である土岐頼兼が配されていましたが、元亨4年(1333)に鎌倉幕府の倒幕運動の一つ「正中の変」で後醍醐天皇方に与し討死しています。
南北朝時代の延元4年/暦応2年(1339)に土岐家の惣領と美濃国守護職に就任した土岐頼遠は本拠(守護所)を土岐郡から厚見郡の長森城に移した為、その後は、土岐頼房、土岐三兵衛などの土岐氏やその一族が鶴ヶ城の城主となり当地方の重要拠点の1つとして重要視されました。 戦国時代になり武田氏と織田氏の勢力が拮抗するようになると、鶴ヶ城は織田氏の甲斐侵攻の中心的な役割を持つようになり天正10年(1582)には織田信長、信忠父子が鶴ヶ城から武田氏追討の采配を振るっています。同年、武田家が滅ぶと岩村城の出城的な役割となり、慶長5年(1600)に行われた関が原の戦いの際には西軍に与した福岡氏や嵐氏などが鶴ヶ城に入りましたが、東軍に与した小里氏や妻木氏に攻められ開城、その後に廃城になっています。鶴ヶ城は昭和35年(1960)に岐阜県指定史跡に指定されています。
鶴ヶ城:上空画像
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