恵那市: 岩村城(別名:霧ヶ城)

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概要・歴史・観光・見所
岩村城(別名:霧ヶ城)概要: 岩村城の築城は承久年間(1219〜21)、鎌倉幕府御家人である加藤景廉が築いたのが始まりと伝えられています。2代景朝が遠山氏を名乗り、以後歴代遠山氏の居城となりました。当初は富田・大円寺付近に築かれた居館程度の城だったそうですが、岩村の地は信濃と尾張を結ぶ交通の要衝として次第に重要性を増し戦国時代に本格的な城郭として整備されたと思われています。岩村城の鎮守社で城内に鎮座していた八幡神社の棟札には永正5年(1508)に遠山頼景が造営したことが記されている為、少なくとも永正5年以前には現在の岩村城のように山上に築城されていたようです。戦国時代後期になると武田領、織田領、徳川領に近接し、遠山景任の代には織田信長と姻戚関係を結び武田信玄に対抗します。

元亀2年(1571)、景任が死去すると信長は景任の正室(おつやの方:信長の叔母)を城主と定め御坊丸(信長5男)を嗣子とする体制にしますが、元亀3年(1572)、武田家家臣秋山信友の猛攻により岩村城は落城寸前まで攻め込まれます。信友は和議の条件におつやの方との婚儀を条件にした為、結婚が成立後、岩村城は開城し信友が城主となりました。天正3年(1575)、長篠の戦いの後武田家が衰退すると甲斐侵攻が開始、岩村城も標的となり織田信忠により落城し、信友・おつやの方夫妻は長良川河川敷で逆さ磔となり処刑されたそうです。その後、河尻秀隆、団忠正、森長可、森忠政、田丸直昌が短期間で城主が代わりますが随時、岩村城は改修、拡張が続けられ特に森氏の時代に城代として赴任した各務兵庫助元正が18年間精力的に整備し現在の岩村城に見られる近代的山城が完成しています。

江戸時代に入ると松平家乗が岩村藩を立藩、岩村城の麓に藩主の居館を移し城下町など領内の整備が行われます。2代乗寿は大坂の陣で功をあげ寛永15年(1638)に浜松藩(静岡県浜松市)に3万6千石で移封となり、代わって伊保藩(愛知県豊田市)から丹羽氏信が2万石で入封します。元禄15年(1702)、丹羽氏がお家騒動で越後国に移封になると小諸城(長野県小諸市)から松平乗紀が新たに岩村城主になります。以後、松平家が7代乗命まで岩村城を守り明治維新を迎えています。

岩村城は海抜717mの城山山頂に築かれた山城で近代城郭の中で最も高い位置に本丸を設け、規模や縄張りの巧みさから備中松山城、大和高取城とともに「日本三大山城」の1つに数えられています。明治6年(1873)に廃城になると破却、払い下げとなり徳祥寺の山門として土岐門が、妙法寺山門として不明門が勝川家には土蔵がそれぞれ移築されています。現在は麓の藩主居館の一部表御門・平重門・太鼓櫓などが復元され、岐阜県指定史跡に指定、平成18年には日本100名城に選定されています。

岩村城:写真

岩村城
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