丹羽氏定

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丹羽氏定(岩村藩)
【 概 略 】−丹羽氏定は慶長11年(1606)、当時の三河伊保藩2代藩主丹羽氏信と水野忠胤の娘(水野勝成の養女)との子供として生まれました。寛永15年(1638)に氏信が美濃岩村藩2万石に移封になると随行したと見られ、正保3年(1646)に氏信が死去すると岩村藩2代藩主に就任し岩村城に入っています。同年、弟である丹羽猪之助氏春に1千石を分知し1万9千石となり、氏春は幕府の旗本に就任しています。正保4年(1647)には大坂加番に就任。慶安4年(1651)、3代将軍徳川家光が死去すると、三河刈谷藩主松平定政が突然東叡山寛永寺で遁世落髪し出家、定政から見れば家光に忠義を示す行為だったかも知れませんが、幕府からは「狂気の沙汰」と判断され事実上改易となりました。丹羽氏定は岡崎藩主水野監物忠善と共に刈谷城の受け取りの大役を果たしています。領内では長女多阿姫の安産祈願を行った日輝上人を帰依し承応2年(1652)に日亮上人を招いて妙法寺を創建しています。明暦3年(1657)に死去、享年52歳、戒名:興昌院殿桃雲宗萼大居士。菩提は丹羽家の菩提寺である妙仙寺に葬られています。妙仙寺は丹羽家の移封に随行した為、その後に岩村藩に入封した松平家の菩提寺である乗政寺が妙仙寺の境内を継承し、現在は大名墓地となっています。

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