松平家乗

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松平家乗(岩村藩)
【 概 略 】−松平家乗は天正3年(1575)に大給松平家5代目当主松平真乗の子供として生まれました。天正10年(1582)、真乗の死去に伴い僅か7歳で跡を継ぐ事になり、天正15年(1587)、12歳で元服を迎えると徳川家康から「家」の字を賜り「家乗」を名乗るようになっています。天正18年(1590)に発生した小田原の役で小田原北条氏が滅ぶと、家康は旧北条領に移封となり、それに従った家乗は上野国那波郡(現在の群馬県伊勢崎市)1万石の領主に抜擢されています。慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いでは東軍として行動し、吉田城(愛知県豊橋市今橋町)の守備を担当しています。又、関ヶ原の戦いに東軍として参加した石川康通と彦坂元正が合戦翌々日に松平家乗宛てに合戦の経緯を報告した連署書状が、一次資料として残されています。

家乗は慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いの功績により岩村領2万石で加増移封となり岩村藩初代藩主に就任しています。岩村領の中心である岩村城は大規模で堅固だったものの中世の山城だった為、戦の無くなった近世では必要なかった事から麓に藩主居館と藩庁を新たに造営し、城下に時を知らせる「太鼓櫓」を設け藩士だけでなく町民の便宜を図っています。城下の町割りも積極的に行い、麓の藩邸周辺を武家地、街道に沿いった長く伸びる町人町の基礎が築かれています(現在も良好な町並みが残され名称「恵那市岩村町本通り伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています)。さらに、城下には菩提寺となる久翁山龍巌寺を創建、さらに、祖父である松平親乗と父親である松平真乗の菩提寺である盛巌寺や縁の深い浄光寺を当地でも創建しています。慶長19年(1614)死去、戒名:大聖院殿乗誉道見大居士、享年30歳、家督は長男である松平乗寿が継ぎ、岩村藩2代藩主に就任しています。菩提は菩提寺である久翁山龍巌寺の境内に葬られ現在も大名墓地には墓碑が残されています。

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