大名墓地(乗政寺山墓地)概要: 松平家乗は幼少の頃から徳川家康に従い慶長5年 (1600)の関ヶ原の戦いで東軍に与し吉田城(愛知県豊橋市今橋町)の守備に就いた功により慶長6年(1601)に岩村に移封され岩村藩を立藩、当地に菩提寺となる久翁山龍巌寺が創建されました。慶長19年(1614)、家乗は岩村城で死去すると龍巌寺境内に葬られ戒名「大聖院殿乗誉道見大居士」が与えられています。跡継いだ松平乗寿が寛永15年(1638)に浜松藩(静岡県浜松市中区)に移封になると龍巌寺も浜松に境内を移しています。
替わって伊保藩(愛知県豊田市)から丹羽氏信が入封し菩提寺である大椿山妙仙寺を旧領から旧龍巌寺境内に移し 初代丹羽氏信(戒名:慈明院殿可山道印大居士)、2代丹羽氏定(戒名:興昌院殿桃雲宗萼大居士)、3代丹羽氏純(戒名:直指院殿性山義見大居士)、4代丹羽氏明(戒名:性覚院殿長門權刺史徳雲道海大居士)が葬られました。元禄15年(1702)、5代丹羽氏音は御家騒動により高柳藩(新潟県妙高市高柳)に石高半減(2万石→1万石)で移封となり、妙仙寺も随行しています。替わって小諸藩(長野県小諸市)から松平乗紀(大給松平氏)が入封すると小諸にあった松石山乗政寺を岩村に移し、残された妙仙寺の堂宇を利用し先祖の位牌や仏像が安置されました。
乗政寺は大給松平氏の領内菩提寺として庇護されましたが、歴代藩主は江戸菩提寺である東京上野の東叡山春性院に葬られ墓碑が建立されています。明治4年(1871)に廃藩置県が発令されると庇護者を失い、さらに住職が死去したことで乗政寺は廃寺となり、仏像などは関係が深い隆崇院に移されています。大名墓地(乗政寺山墓地)は恵那市指定史跡に指定されています。
大名墓地:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-岩村町教育委員会
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