知新館(岩村城)概要: 知新館は当時の岩村藩(藩庁:岩村城)の 藩主松平乗紀の命により江戸時代中期の元禄15年(1702)に創立した藩校です。創立時期としては美濃国最初のもので、全国に見ても極めて早い時期に成立した藩校と言え、岩村藩は2万石から3万石の小藩でしたが全ての藩士の子弟が8歳になると入学させ、20歳になるまで退学の許可を出さないなど教育に力を入れた事で、林述斎や佐藤一斎など多くの人材を輩出しています。知新館の名称の由来は論語の「温故知新」から採ったもので、藩校内部には論語の元になった孔子を祭る聖廟(孔子廟)を設け、教授はそこに安置した孔子像に礼拝してから授業を行ったと伝えられています。
明治維新後に発令された廃藩置県により岩村藩が廃藩になると知新館も廃校となり、その後の学制制度で設けられた岩邑小学校の母体となっています。知新館は現在の恵那南高校(旧岩村高校)敷地内にあり、唯一正門が残されていましたが、昭和59年(1984)に岩村城の場内に設けられた藩主居館跡地に移築されました。
正門は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、長屋門形式、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁抑え、内部には釈奠の間(知新館も廃校となり聖廟が廃された際に正門に移された、板間、間口1800cm、奥行90cmの聖壇)が設けられ孔子画像軸(唐呉道子の描いたものの拓本、縦151cm、横51cm)が掲げられています。知新館の正門は名称「知新館正門・釈奠の間 附:孔子画像軸」として昭和43年(1968)に岐阜県指定史跡に指定されています。
知新館:上空画像
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