【 概 要 】−金森頼直は元和7年(1621)、高山藩(岐阜県高山市)3代藩主金森重頼と小沢彦八郎の娘との子供として生まれました。慶安3年(1650)に重頼の死去に伴い金森家の家督を継ぎ、高山藩4代藩主に就任し藩庁の置かれた高山城に入っています。
金森頼直は社寺の保護を積極的に行い、慶安3年(1657)には菩提寺となる大隆寺(高山市春日町)を禅海宗俊和尚を招いて創建、万治2年(1659)には久津八幡宮(岐阜県下呂市)社殿の修復、同年には新宮神社(高崎市新宮町)社殿の造営修復、万治3年(1660)には気多若宮神社(岐阜県飛騨市)の社殿の再建、同年には千光寺(高山市丹生川町)を再興、同年には飯山寺を祈願所として観音堂を造営しています。
寛文5年(1665)に大病を患った際には日枝神社(高山市城山)に病気平癒と武運長久の祈願を行い越中肴屋連中、金森家家臣高山町中が絵馬(高山市指定有形民俗文化財)を奉納、延宝7年(1679)には素玄寺5世清懶徽猷和尚を招いて慈雲寺を再興、林昌寺(岐阜県飛騨市)に軍扇を奉納などを行っています。
明暦3年(1657)に発生した江戸大火災の際、高山藩江戸藩邸も類焼し愛馬である「山桜鹿毛」が頼直を乗せて危機を助けた事から、「山桜鹿毛」が亡くなった後は馬頭様として信仰の対象となり山桜神社が創建されています。頼直は寛文3年(1663)に病により隠居を申し出たものの許されず、結局剃髪し、立軒素白と名乗っています。寛文5年(1665)死去、享年45歳、戒名:大隆院殿立軒素白居士。家督は金森頼業が継いでいます。
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