飛騨高山藩

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飛騨高山藩概要: 慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いで金森長近は大恩のあった豊臣家を見限り徳川家の与し西軍方の郡上八幡城(岐阜県郡上市)攻め大功を挙げた事で本領3万8千石に加え美濃国上有知1万8千石と河内国金田3千石が加えられ5万9千石で高山藩(岐阜県高山市)が立藩しています。長近は日本海と高山、江戸を結ぶ飛騨街道や、新たな領地となった上有知とを結ぶ津保街道などの整備や物資搬入路の玄関口となった上有知湊の整備、藩庁となる高山城の修築、城下町の町割り、有力社寺(飛騨国分寺・日枝神社)の保護などを行い藩政の基盤を整えていきました。慶長10年(1605)、長近は高山領3万8千石を養子である金森可重に譲り、自らは上有知領1万8千石と河内国金田3千石で上有知藩(岐阜県美濃市)を立藩しています。

可重に慶長20年(1615)に発生した大坂の陣の樫井の戦いで勝利したものの、元和元年(1615)に伏見で死去、家督は3男である金森重頼が継いでいます。重頼は名君として知られ、新田開発や銀山開発、領内の検地などを行い、飢饉の際には家宝を売却してまで家臣、領民を助け、幕府からは改易となった松平忠輝や加藤光広を預かるなど信任されていました(両者は城下にある天照寺に蟄居し、当地で亡くなった光広は法華寺に葬られています)。さらに、一国一城令により増島城(岐阜県飛騨市)と萩原諏訪城(岐阜県下呂市)を廃城とし旅館(他藩でいう陣屋)に改変し、安国寺の堂宇の再建などを手掛けています。

4代藩主金森頼直は特に社寺の保護を行い、久津八幡宮の修復や千光寺の再興、飯山寺の庇護、気多若宮神社の再建などが実績として残されています。5代藩主金森頼業は銀山騒動を起こし藩内の不安を高め、6代藩主金森頼時は幕府の側用人など要職を歴任しましたが、突如解任となり元禄5年(1692)に上山藩(山形県上山市)に移封、高山藩は廃藩になっています。以後、幕府の直領である天領支配に移行し、これにより高山城も廃城、麓に天領陣屋が設けられています。現在も多くの町屋建築が残され特に高山市三町高山市下二之町大新町は良好な町並み景観が評価され国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。


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飛騨高山藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代金森長近1600〜1605年5万9千石 
2代金森可重1605〜1615年3万8千石 
3代金森重頼1615〜1650年3万8千石 
4代金森頼直1650〜1665年3万8千石 
5代金森頼業1665〜1671年3万8千石 
6代金森頼時1672〜1692年3万8千石 

飛騨高山藩・城下町:町並み
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