増島城(飛騨市古川町)概要: 増島城は天正17年(1589)、飛騨を統一した豊臣秀吉の家臣金森長近が築いたのが始まりとされます。長近は本城である高山城の他に増島城、諏訪城、神岡城を築き領土の掌握を勤め増島城には養子(娘婿)である金森可重を1万石で守らせました。
城は領内唯一の平城で本丸には石垣を用いた天守台が築かれ周囲を水堀で囲いさらに外側にあった荒城川を外堀に見立てていたようです。可重が2代高山藩主となり高山城に移ると長男である重近が城主となり重近が出家すると可重の3男重頼が跡を継ぎます(金森家は豊臣家の家臣でしたが、慶長19年:1614年の大坂の陣で可重は徳川方として参陣。それに異を唱えた重近は相続権を剥奪され出家したとされます)。
元和元年(1619)、一国一城令が発令され、記録上は廃城となりますが、高山藩3代藩主金森重頼は古川旅館として改変し事実上は残され引き続き当地方の政治的、軍事的中心として機能しました。元禄5年(1692)、6代藩主金森頼時の代に上山城(山形県上山市)に移封になり元禄8年(1695)に高山城が廃城、古川旅館も同時期に破却されたと思われます。
多くの建造物が破却された中、城門が林昌寺(金森家菩提寺)、円光寺、本光寺に移築され、林昌寺と円光寺は山門(両門とも飛騨市指定史跡)として現存しています。現在、城域のほとんどが飛騨市立古川小学校となり、唯一残された天守台(増島神社の境内)の石垣や水堀の一部が岐阜県指定史跡に指定されています。
増島城:上空画像
|