飛騨市(古川町)概要: 古川町の都市的発展は中世、飛騨国司が小島城や小鷹利城に入り当地を支配した事に始まります。飛騨国司となった姉小路氏はその後、小島城の小島家と向小島城の小鷹利家、古河城の古河家の3家に分かれますが戦国時代に入ると家臣である三木氏の下克上によってその地位を追われます。
三木氏は飛騨を統一したものの、織田信長が本能寺の変で倒れると越中の佐々成政に組し羽柴秀吉と対立した為、天正13年(1585)、秀吉の家臣金森長近の侵攻により三木氏は破れ没落しています。
長近は高山城に居城を移しますが古川の重要性から増島城を築き養子である金森可重を配し、当地方の軍事、行政の中心として機能させました。城下町は高山を模した碁盤目のように整然とした町割りを計画し、現在も当時の町割りが継承されています。
慶長20年(1615)に発令された一国一城令により増島城は廃城になりますが、当地の重要性から古川旅館としてほぼ城郭の機能を残し城下町も存続させました。元禄5年(1692)、6代藩主金森頼時が上山城(山形県上山市)に移封になると、天領となりますが、飛騨街道の宿場町として物資や旅人の往来などで経済的に発展し周辺地域の中心の地位を保ち続けました。現在も随所に古い町並みが残っており当時の雰囲気が残されています。
飛騨街道:宿場町・再生リスト
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