落合宿(恵那市)概要: 落合宿(中津川市)は中山道の宿場町で、江戸日本橋から44番目にありました。天保14年(1843)当時は尾張藩領で本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒、家屋75軒あり、本陣は井口家、脇本陣を塚田家が務めていました。
宿場の長さは3町35間(約390m)、横町・上町・中町・下町の4町に分かれ江戸側と京側に枡形があり、街道の中央には水路が設置、随所に常夜塔が設けられました(往時は4箇所あり、現在残された上町の常夜塔は国指定史跡)。
落合宿は美濃と信濃の国境に接し、信濃側の馬籠宿との間には十曲峠があり現在でも約840mの石畳が復元(旧石畳は約71mで岐阜県指定史跡)され当時の中山道の様子を今に伝えています。
町並みは文化2年(1804)と文化12年(1815)に大火により多くの建物が焼失し、その後の近代化による建替えで古い町屋建築は少しづつ姿を消しつつあります。
歴史が感じられる落合宿の町並み
落合宿本陣は大火後に再建されたもので、文久元年(1861)には皇女和宮が江戸に下向中に休息で利用し、明治13年(1880)には明治天皇の御巡幸の際にも御小休所となった歴史的にも貴重で中津川市指定文化財(敷地全体は国指定史跡)に指定されています。
本陣の表門は参勤交代で利用した加賀藩が火事見舞に贈られたものと伝えられている建物で、当家と加賀藩主前田家と関係が深かった事が窺えます。落合宿外れににある医王寺は鳳来寺、蟹薬師と共に日本三薬師に数えられる山中薬師として広く知られ、当寺販売していたとされる「狐膏薬」は十返舎一九の「木曽街道続膝栗毛六編」にも紹介される程人気があったそうです。
又、映画「十三人の刺客」の舞台にもなり、暴君だった明石藩主松平左兵衛斉韶の暗殺を企てた新左衛門が落合宿を決戦の場として、宿場に多くの仕掛けを施し本懐を遂げるという内容となっています。
中山道:美濃路・経路
落合宿−中津川宿−大井宿−大湫宿−細久手宿−御嶽宿−伏見宿−太田宿− 鵜沼宿−加納宿−河渡宿−美江寺宿−赤坂宿−垂井宿−関ヶ原宿−今須宿
落合宿:上空画像
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