光国寺(加納宿)

  岐阜県:歴史・観光・見所中山道(美濃路)加納宿>光国寺

概要・歴史・観光・見所
光国寺(加納宿)概要: 光国寺の創建は慶長19年(1614)、亀姫(徳川家康と正室築山御前との間に生まれた長女、奥平信昌の正室)が化粧用下屋敷として与えられていた3万1千坪の屋敷内に菩提寺として設けられました。寛永2年(1625)、享年66歳で亀姫が死去すると戒名「盛徳院殿香林慈雲大姉」が与えられ五輪塔が建立されました。寺号は加納藩2代藩主奥平忠政(信昌3男、慶長19年:1614年、母に先立って享年35歳で死去。)の戒名「雄山宝永光国院」に因み光国寺と名付けられました(京都府京都市右京区には忠政の菩提寺が同名で創建されています)。亀姫は天正3年(1575)の長篠の合戦の際、当時武田家の家臣だった奥平家を徳川方に寝返らせる為の条件として奥平信昌との婚儀が決められ、所謂、政略結婚として奥平家に嫁ぎました。奥平貞能、信昌父子は長篠城(愛知県新城市)に立て籠もり、城を死守、本戦では武田軍の牽制となり大きな功を挙げると徳川家の重臣としての地位を確立しています。慶長5年(1600)の関が原の戦いでも東軍として行動し慶長6年(1601)に交通の要衝で戦略的重要拠点、美濃国の中心(美濃国の中心は岐阜城でしたが、織田家の旧本拠や、関ヶ原の戦いで落城し焼失、山城などの理由で廃城となり、新たに天下普請で加納城が築かれました。)である加納藩10万石が与えられ(亀姫には化粧料として2千石)、亀姫共々加納城に移りました。境内にある亀姫の五輪塔の前には松平下総守忠啓(奥平松平家5代当主)が寄進した石燈籠などがあります。寺宝には亀姫や信昌、2代将軍徳川秀忠の書状など奥平家、徳川家縁のものが多く、特に「普照殿」に安置されている絹本著色亀姫像は岐阜市指定重要文化財に指定されています。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:観世音菩薩。

光国寺:写真

光国寺
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