専福寺(加納宿)概要: 大会山専福寺は岐阜県岐阜市加納新町に境内を構えている浄土真宗大谷派の寺院です。 専福寺の創建は嘉禎元年(1235)、親鸞聖人が常陸の国から京都へ帰郷する際、三河の柳堂で河野通勝(入道専称坊)が教化を得て一宇を設けたのが始まりとされます。その後、各地へ移転を繰り替えしながら浄土真宗の布教を広げ、戦国時代には本寺である本願寺と共に織田信長と対立し、元亀3年(1572)当時の住職忍悟は石山合戦に参陣し討死しています。慶長9年(1604)、新加納村(各務原市)から竹ヶ鼻村(羽島市竹ヶ鼻下城)に遷り、時期は不詳ですが一寺が分派したのが当寺で、加納城の城下町建設に伴い現在地に境内を構えたと思われます。
専福寺には様々な古文書が伝わっていますが、中でも織田信長の朱印状と豊臣秀吉の朱印状、池田輝政制札状の3通が岐阜市指定文化財に指定されています。特に織田信長の朱印状は元亀3年(1572)に行われた石山合戦の際、専福寺が石山寺本願寺に加担するのを防ぐ為に発行したものとされ歴史的にも重要なものとされています。
実際は、当時の住職である忍悟が顕如の呼びかけに応えて信者、門徒を率いて石山本願寺に参戦、しかし討死し顕如より追悼の御書を給ったと伝えられています。
その後、忍悟の子供である忍活が再興し現在地に堂宇を建立し境内を整備しています。寺宝である絹本著色阿弥陀如来像は明応7年(1498)に描かれたもので縦89.0cm、横34.5cm。専福寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、正面向拝付、桁行7間。山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門。山号:大会山。宗派:浄土真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来。
専福寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-岐阜市教育委員会
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