本陣(大湫宿)概要: 本陣は大湫宿が開かれて以降、保々氏が歴任しています。保々氏の祖は木曽を本拠とする武士で関が原の戦いや大坂の陣に徳川方として参戦し、尾張徳川家から300石が与えられ本陣だけでなく問屋や庄屋を兼ねるなど大湫宿内で大きな影響力を持ち菩提寺となる宗昌寺を創建しています。
大湫宿本陣の建坪は1822坪、桁行22間、梁間15間、部屋数23、畳数212畳、別棟添屋6棟、脇本陣の建坪は98坪、桁行16間、梁間12間、部屋数19室、畳数153畳、別棟添屋6棟と宿場内の他の建物を圧倒し、当時の繁栄が窺えます。本陣は湫宿最大の建物で格式も高く多くの大名などの高級武士や公家などが宿泊しました。
中でも文久元年(1861)10月28日には14代将軍徳川家茂へ御降嫁となった皇女和宮が宿泊したことでも知られ、敷地内には皇女和宮が詠んだ「遠ざかる都と知れば旅衣一夜の宿も立ちうかりけり」、「思いきや雲井の袂ぬぎかえてうき旅衣袖しぼるとは」が刻まれた歌碑が建立されています。
明治5年(1872)に宿駅制度が廃止になると衰微し明治20年(1887)に建物の大部分が解体され、その一部(和宮が利用した御上段の間など5部屋)が土岐市の民家に移築されています。明治時代以降に取り壊され現在は小学校の校庭となっています。
大湫宿本陣跡:上空画像
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