大湫宿観音堂(瑞浪市)概要: 大湫宿観音は古くから道中安全や病気快癒に御利益があるとして広く信仰を集めたと云われています。当初は神明社の境内にありましたが江戸時代中期の享保6年(1721)に大湫宿の西口である現在地に移されました。
現在の建物は江戸時代後期の文政年間(1818〜1830年)の大火で焼失した後の弘化4年(1847)に再建されたもので木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、桁行2間、梁間1間半、1間向拝付。天井は格天井で60枚の色鮮やかな花鳥風月の絵が三尾静(暁峰:現在の恵那郡付知村出身)によって描かれたもので昭和54年(1979)に瑞浪市指定文化財に指定されています。
大湫宿観音堂境内には芭蕉句碑や供養塔など多くの石碑が建立されていて当時の大湫宿の名残が感じられます。芭蕉句碑は江戸時代後期の寛政7年(1795)に大湫宿の俳人が芭蕉100回忌に建立したもので「花ざかり 山は日ごろの あさぼらけ」が刻まれています。この句は元禄元年(1688)、芭蕉が吉野で詠んだ句で「笈の小文」にまとめられています。
大湫宿観音堂:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-瑞浪市教育委員会
・ 現地案内板
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