太田宿本陣(美濃加茂市)概要: 太田宿本陣は代々福田家が勤め、1年交代で 脇本陣の林家と共に太田村の庄屋も担い、尾張藩勘定所の御用達や米の売買、材木商、酒造業者でもあり豪商としての一面もあり太田宿内では大きな影響力がありました。本陣の屋敷は各大名家が参勤交代で太田宿を利用する際、休息や宿泊が行われる施設で他の町屋や旅篭建築とは大きく異なり、表間口21間、奥行22間の敷地内部には表門や式台付玄関、上段の間、下段の間、次の間など格式の高い構造になっていました。
又、施設の維持や利用時にかかる経費など莫大で宿場の中でも 有力者がその任を担っていました。現在残されている表門(切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門:両側共にやや中央から前に配された本柱と後方の控柱があり計4本で支える形式)は文久元年(1861)、仁孝天皇の皇女・和宮が太田宿を利用する際、建てられたもので大正時代頃、西福寺に移築されましたが近年になり現在地に移されました。旧太田宿本陣の遺構として貴重な存在で美濃加茂市指定文化財に指定されています。
太田宿本陣:上空画像
薬医門を簡単に説明した動画
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