美濃加茂市(歴史)概要: 美濃加茂市は古くは蜂屋庄と呼ばれる皇室や摂関家の荘園でした。 中世に入ると岸家が支配し、美濃守護代斎藤氏に組することで地位が確立します。戦国時代に入り斎藤家が衰退すると、織田家との対立の矢面に立ち当時の当主岸信周は周辺の佐藤忠能や長井道利らと同盟を結び織田家の侵攻を食い止めようとしましたが、忠能の裏切りにより戦線が崩れ、居城である堂洞城と命運を共にしています。江戸時代に入ると尾張藩に属し、交通の要衝である太田には中山道の51番目の宿場町が設置され本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠20軒、家屋108軒、尾張藩太田代官所が設けられました。特に太田宿には中山道の三大難所の1つ太田渡しがあった事から多くの旅人が宿場を利用したと伝えられています。
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