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美濃市(歴史)概要: 美濃市にある港町岩陰遺跡は複数の堆積層があり、それぞれ縄文時代草創期から縄文時代後期の遺物が多数発見され、長きにわたり、人々が生活し易い環境だった事が窺えます。
岩崖は長良川と接する北側崖下に位置し、岩陰の規模は幅20m、奥行最深部8m、古生層の硅岩により形成されており、貴重な事から美濃市指定史跡に指定されています。
その他にも大屋敷遺跡からは縄文時代前期から中期の土器と、石錘土坑2基等が発見され、一本杉遺跡からも縄文時代早期の土坑が発見されています。
美濃観音寺山古墳は美濃市横越に位置する観音寺山の山頂に弥生時代末期から古墳時代初期頃に築造された前方後方墳で、全長20.5m、後方部長さ13.5m、くびれ部幅10m、埋葬主体部は、全長4.1m、幅約1m。
美濃観音寺山古墳から副葬品として発見された、方格規矩四神鏡1面、重圏文鏡1面、水晶小玉、ガラス小玉18点、合計25点が貴重な事から岐阜県の指定文化財に指定されています。
美濃市笠神に位置する殿岡古墳は8世紀頃に築造された円墳で、直径20m、高さ6m、副葬品は確認されていませんが、玄室が長さ4.5m、幅1.9m、高さ1.8mと市内最大規模の石室を有し、保存状態も良い事から美濃市指定史跡に指定されています。
美濃市内には延喜式神名帳に記載された式内社はありませんが、美濃国神名帳には従五位下國津神明神、正六位上厩野明神、正六位上阿岐佐多神、正六位上志岡明神、正六位上大岡明神、正六位上眞木倉明神が祭られていた事が記されています。
奈良時代の養老元年(717)には泰澄大師が洲原神社を開き、白山信仰が当地にも布教された事が窺えます。
洲原神社は歴史的建築物が数多く残され、中央本殿と東本殿、西本殿が岐阜県指定文化財、拝殿、舞殿、楼門が貴重な事から美濃市指定文化財に指定されています。
古代は美濃国武藝郡に属し、正確な時期は判りませんが、当地は有知郷と呼ばれるようになり、平安時代頃に上・下に分かれ、上有知荘と呼ばれる藤原氏の荘園となっています。
上有知荘の現地代官は美濃源氏である山県氏が担い、地名に因み上有知蔵人を名乗っています。
嘉祥元年(848)には山県頼清の孫で、上有智頼資の子供である上有智頼保が矢野盛重から播磨国矢野荘例名下司職を譲られています。
長寛元年(1163)頃の美濃国諸庄未進注文には摂関家領として「上有知内絹三十疋」、建長五年(1253)一〇月二一日の近衛家所領目録には鷹司院領として「京極殿領内上有智庄」と記されています。
承久の乱後、常陸源氏佐竹氏の領地が増え、佐竹季義の子供である公清が当地に配され、「上有智」姓を名乗っています。
美濃佐竹氏は南北朝時代に分裂した事で衰退し、代わって美濃国守護職となった土岐氏の影響下に入り、一族である浅野氏が当地に配されています。
リメイク版の美濃市の動画
応仁の乱後は美濃佐藤氏が台頭し、当地には佐藤三河守通信の子供である佐藤修理太夫宗信が配され藤城を築城しています。
その後、佐藤家は斎藤家、織田信長に従い、各地を転戦、本能寺の変後は豊臣秀吉に本領2万5千石が安堵されています。
慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いでは当時の当主、佐藤方政が西軍に与した事から改易となり没落しています。
当地は関ヶ原の戦いで功績を挙げた高山城城主金森長近に与えられ、慶長10年(1605)に養子の金森可重に本領を相続させると、実子の長光と共に鉈尾山城に入り、2万石で上有知藩を立藩しています。
その後、小倉山城を築き、麓には現在の町並みの基礎となる城下町を町割り、郡上街道や牧谷街道、岐阜街道、津保街道、関街道といった街道を引き込み、木曽川舟運の拠点となる川湊である上有知湊を整備し開港しています。
各街道から城下町に入る際には清泰寺や宝勝院、円通寺などの主要寺院を配置し防衛的な配慮も現在に受け継がれています。
慶長13年(1608)に長近が死去すると長光が2代藩主に就任しましたが、慶長16年(1611)に僅か7歳で病死した事から断絶し、上有知藩は廃藩、小倉山城も廃城となっています。
その後は天領を経て尾張藩領となり、天明2年(1782)には小倉山城の城跡に上有知代官所が設けられた為、引き続き周囲の行政的、経済的中心地として維持されました。
上有知湊は木曽川を通して多くの物資が運び込まれ、物資の集積場として発展、特に美濃和紙の集散地になると、和紙だけの六斎市が開かれ、それを求めて多くの人達が行き交いました。
美濃和紙の書院紙は天下一品、大直紙は最高級と謡われ、幕府と尾張藩の御用紙に指定されると、全国的にも知名度が高まっています。
享保8年(1723)の大火以降、防火施設としてウダツを設ける町屋が増え、いつしか富の象徴として本ウダツを掲げる豪商の町屋が軒を連ねるようになりました。
現在も今井家住宅や小坂家住宅、卯建連棟家屋など、旧城下町には古くて良好な町屋建築が優れた町並みを形成しています。
美濃市中心部の町並みは、江戸時代初期に計画された町割りが残る遺構として大変貴重な存在である事から、名称「美濃市美濃町」、範囲約9.3haが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
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