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恵那市明智町(歴史)概要: 明智町は徳平古墳、久後古墳、経塚古墳、荒井古墳(若王子古墳)と呼ばれる4つの知られた古墳があります。
何れも、6〜7世紀頃に築造された小規模な円墳ですが、豪族と呼ばれるような人物が支配していたかも知れません。
徳平古墳からは副葬品として滑石製臼玉や鉄製小刀、鍔、刀子、鉄鏃、土器類が、久後古墳からは副葬品として直刀や鉄鏃、刀子、須恵器などが発見されています。
徳平古墳と久後古墳の2つの古墳は貴重な事から岐阜県指定史跡に指定され、経塚古墳、荒井古墳の2つの古墳は恵那市指定史跡に指定されています。
平安時代に入ると集落的な発展が見られたようで、天暦3年(949)には天照大神の八人の皇子の御霊が勧請され当地の産土神である八王子神社が開創されています。
その後、八王子神社は歴代領主や領民から崇敬され、江戸時代に再建された社殿が岐阜県指定文化財に指定されています。
鎌倉時代に入ると、幕府の有力御家人である加藤景廉が遠山荘の地頭に任ぜられ、後裔は地名に因み「遠山」姓を掲げ、長くこの地を支配し領内の開発に尽力しています。
宝治元年(1247)には景廉の孫にあたる遠山三郎兵衛景重が明知城を築くと、後裔は明知遠山家と呼ばれ、遠山家の有力氏族として、岩村遠山家、阿照遠山家、串原遠山家、苗木遠山家、安木遠山家、飯羽間遠山家と共に遠山七頭に数えられました。
戦国時代になると勢力が拡大したようで、「岩村遠山家」、「苗木遠山家」と共に「遠山三家」や「遠山三頭」と呼ばれ、周辺地域に対して影響力がありそれに隣接する大名からも一目置かれる存在となっています。
しかし、当地域は美濃国(岐阜県)と信濃国(長野県)、尾張国(愛知県)、三河国(愛知県)、駿河国(静岡県)との国境に近い要地だった事から、度々大大名である武田家、織田家、徳川家の勢力から侵攻受けた為、その対応に苦慮しています。
特に武田家の美濃国侵攻が激しく、元亀元年(1570)には武田家の家臣秋山信友に攻められ、明知城は落城、城主である遠山景行は自刃しています。
その後、織田信長の助力を得て明知城を奪還に成功したものの、天正2年(1574)には武田勝頼から攻めれ、激戦の末、一族の裏切りなども重なり再び落城しています。
天正3年(1575)に織田信長が長篠の戦で武田勝頼に勝利すると、明知城は織田方に接収され、遠山利景と遠山一行が復帰を果たしています。
リメイク版の恵那市明智町の動画
天正10年(1582)に発生した本能寺の変で織田信長が亡くなると、豊臣系大名に圧迫を受けた明知遠山家は、天正11年(1583)に縁戚筋の足助鈴木家の紹介で、徳川家康に従うようになります。
しかし、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦い後に豊臣秀吉と徳川家康が和睦した事を受け、結果的に復帰には至らす、秀吉に従った森忠政の持城となり、城代として森左近が配されています。
慶長5年(1600)には田丸直昌が領主となり明知城には家臣である原土佐守が城代として配されています。
同年に発生した関ヶ原の戦いで、直昌は西軍に与した事から、東軍に与した明知遠山家は小里氏や妻木氏と共に明知城を奪取し、東美濃平定に協力しています。
慶長8年(1603)にその功績から遠山利景が恵那、土岐郡内6千7百石が与えられ交代寄合旗本としての地位を確立し明知城の城主にも復権しています。
元和元年(1615)に一国一城令が発令されると明知城は廃城となり、麓に新たに明知陣屋が構えられ、当地は引き続き陣屋町として発展しました。
一方、明知遠山家は定府の旗本だった為、江戸詰めとなり、領内には村上家が代官として実際の行政を担っています。
又、南町奉行を担いテレビ時代劇「遠山の金さん」のモデルとなった遠山左衛門尉景元は、明知遠山氏の分家とされます。
当地は飛騨高山(岐阜県高山市)と岡崎城下(愛知県岡崎市)を結ぶ南北街道と、名古屋城下(愛知県名古屋市)と飯田城下(長野県飯田市)を結ぶ中馬街道が交差する交通の要衝だった事から多くの旅人や商人が行き来し経済的にも発展しました。
明治時代に入ると養蚕や製糸業などで発展し、往時は20数社の製糸工場が進出、一大産地として大きく発展し活況を呈しました。
しかし、製糸産業が価格変動などにより全国的に衰退すると、その後は窯業を主産業に転じたものの、近代化が図られず結果的に良好な町並みが残されました。
現在残されている建物の多くは明治時代から大正時代に建てられたもので、「日本大正村」を旗印に大正時代に建てられた濃明銀行の繭蔵である「日本大正村資料館」、明治時代後期に建てられた明智町役場である「日本大正村役場」、明治時代後期に建てられた旧橋本家住宅である「大正の館」、大正時代に建てられた「歯科医院跡」などが点在し、観光地として整備されています。
又、明智光秀は明智遠山家の出身とも云われ、光秀と所縁があり八王子神社の境内社である柿本人麻呂社や、光秀手植えの楓、遠山家の菩提寺である龍護寺の境内には光秀の供養塔が建立されてます。
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