大野町・歴史・観光・スポット

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概要・歴史・観光・スポット

大野町(歴史)概要: 大野町に位置する六里遺跡からは縄文時代晩期の土器埋設遺構が確認され、墓として利用したと思われる土器が11基分が発見された事から、当時から人々が生活していた事が判ります。

大野町内は200基を越える古墳密集地帯で、特に野古墳群は5世紀中葉から6世紀初頭に築造された古墳群で、かつては28基以上の古墳があり、現存するモレタ古墳、不動塚古墳、南屋敷西古墳、登越古墳、南出口古墳、乾屋敷古墳、7号墳、8号墳、9号墳、以上9基を含め14基が貴重な事から国指定史跡に指定されています。

大野町指定史跡に指定されている上磯古墳群には亀山古墳(県史跡)と北山古墳(県史跡)、南山古墳(町史跡)の3基から構成され、出土した四獣鏡と六獣鏡、内行花文鏡は貴重な事から岐阜県指定文化財に指定されています。

律令制下で大野町は条里制に伴う土地の区画整備が行われ、現在も上磯などの南部地域には当時を思わせる地名や地割が残され、大字六里字一ノ坪と大字少衣斐字大前町が貴重な事から大野町指定史跡に指定されています。

当地は美濃国大野郡に属し、現在の大野町郡家に大野郡の郡衙施設が置かれていたと推定されており、当地が大野郡の行政の中心的な役割を持っていた事が窺えます。

古代の官道である東山道が開削されると駅家である大野駅が設置されたと推定され、「和名抄」に記載されている美濃国大野郡十三郷の一つである駅家郷がその地と言われています。

神亀2年(725)には来振神社が開創、奈良時代には白山信仰が当地にも布教されたと見られ、延喜式神名帳にも式内社として記載されています。

来振神社の別当寺院である来振寺も同時期に行基菩薩が開創したと伝わる寺院で、仏教の布教も本格化したのかも知れません。

中世に入ると、皇室領の饗庭庄、京都祇園社領の上秋庄、九条家領の衣斐庄などが成立し、一方では国衙領として五里郷・公郷などがありました。

その後、土岐氏2代当主で鎌倉時代前期の武将・御家人の土岐光行の子供である光俊が饗庭庄に入部すると地名に因み「饗庭」姓を掲げました。

饗庭光俊は建暦から建保年間(1211〜1213年)に相羽城を築城し、後裔である治郎太郎国綱、国頼、国信まで城主を歴任し当地を支配しています。

戦国時代には美濃国守護職土岐頼芸に仕えた長屋景興が本城を垂井城から相羽城に遷し、2万石余を領しました。

リメイク版の大野町の動画

天文15年(1546)、斎藤道三が当地まで侵攻し相羽城を激しく攻撃したものの、景興の奮戦により落城を免れ、道三は撤兵しています。

しかし、天文16年(1547)、斎藤道三は土岐頼芸の籠もる大桑城に侵攻、この戦いで土岐勢が敗北すると大桑城は落城し、頼芸は美濃国から落ち延びています。

同年、道三は再び相羽城に侵攻、景興は弟である長屋景重を従兄弟で、田口城の城主長屋道重の元に逃がしたものの、嫡男長屋景直と共に討死し、相羽城も落城しています。

江戸時代に入ると関ヶ原の戦いで東軍に与し功績を挙げた織田長孝が1万石で入封し野村藩を立藩しています。

織田長孝は織田信長の弟である織田長益の長男として生れ、当初は美濃国大野村で500石を領していましたが、慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いで、西軍の大谷隊に付属していた戸田重政と戦闘となり、長孝の槍が重政の頭部を切りつけ、討ち取る大功を挙げています。

長孝は長益の長男だったものの、側室との子供だった事もあり、本家の織田家は次男の頼長が継ぎ、長孝は1万石をもって別家を立て初代野村藩主となっています。

しかし、寛永8年(1631)に跡を継いだ織田長則が嗣子が無く死去した事から断絶となり、野村藩も廃藩となっています。

その後、当地は大垣藩に属しましたが、明暦元年(1655)に大垣藩主戸田氏鉄の次男である戸田氏経に大野郡内の新田分4千石が与えられ、旧領と合わせて6千2百石の領主として確立しています。

元禄元年(1688)の戸田氏成の代にさらに加増された事で諸侯となる1万石に達し大垣新田藩が立藩しています。

当初は三河国渥美郡畑村に陣屋を構えていましたが、大垣藩第9代藩主戸田氏正の次男で、当時の大垣新田藩の藩主を担った戸田氏良が明治2年(1869)に美濃国大野郡野村に遷した事から野村藩に改めています。

同年には版籍奉還を受け入れ氏良は野村藩知事に就任、明治3年(1870)には荒地の開墾、藩庁と藩立学校の建設、陣屋町の町割り等を行い領内整備に尽力したものの、明治4年(1871)に廃藩置県が施行されると野村藩は廃藩となり、野村県が立県しています。

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牧村家住宅
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来振寺
来振寺
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来振神社
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野村藩邸宅
野村藩邸宅跡
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八幡神社
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不動塚古墳
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南出口古墳
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登越古墳
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モタレ古墳
モタレ古墳
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乾屋敷古墳
乾屋敷古墳
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