来振神社(大野町)概要: 来振神社は岐阜県揖斐郡大野町稲富字白山に鎮座している神社です。来振神社の創建は神亀2年(725)、初夏、大野郡の白山山頂(317m)に突如として雪が降り積もったことから神意と悟り菊理姫命の分霊を勧請したことが始まりと伝えられています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された来振神社とされ、同じく平安時代に編纂された美濃国神名記で正二位式内来振大神と記されています。
享禄3年(1530)に洪水により大きな被害を受け、さらに永禄3年(1560)に織田信長の兵火により多くの社殿が焼失します。その後、再建され天正17年(1589)に豊臣秀吉から3石5斗が寄進され、慶安元年(1648)には3代将軍徳川家光より朱印状3石5斗を賜わり、以後歴代将軍が追認しています。
江戸時代に入ると大垣藩(藩庁:大垣城)の藩主戸田家から庇護され、特に延宝5年(1677)に社殿の造営が行われ、その後も社殿の営繕工事や例祭の代参が行われています。
古くから麓の来振寺と神仏習合の形態でしたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により神社として独立し明治6年(1873)には郷社に列し、明治40年(1907)には神饌幣帛料供進神社に指定されています。昭和43年(1968)に様々な理由により現在に遷座しています。
来振神社境内にある手水石は天和2年(1682)に濃州大野郡更地村出身の国枝長藏が安全を祈願して来振神社に奉納したもので、昭和53年(1978)に大野町指定重要文化財(工芸品)に指定されています。手水石に含まれるフズリナ化石は昭和53年(1978)に大野町指定天然記念物に指定されています。
毎年4月第一日曜日の来振神社の例祭に奉納される「来振ばやし」は曳車山を引く際に古式にのっとり太鼓や横笛、鉦などで演奏するもので昭和56年(1981)に大野町指定無形民俗文化財に指定されています。祭神:伊弉諾命、伊弉冉命、菊理姫命、大己貴命、白山輔佐翁。
来振神社:上空画像
|