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高山市(歴史)概要: 高山市には数多くの縄文時代の遺跡が存在し、当時は気候が良く豊かな生活が出来ていたと思われます。
特に垣内遺跡からは縄文時代後半の住居跡が48基、後期後半が20基、その他7基が確認されており、基本的に遺体を納めた土坑墓群を中心に集落が形成され、土坑墓群の外縁には環状列石が配されていたと推定されています。
現在見られる、「三ツ岩」と称する3個の巨岩があり、それが環状列石の立石(メンヒル)とみられ、かつては7個あったと伝えられています。
垣内遺跡三ツ岩は貴重な事から高山市指定史跡に指定されています。
古墳時代に入ると数多くの古墳が築かれ、特に冬頭王塚古墳は5世紀に築造された円墳で、直径約20m、高さ約5m、2段築成、竪穴式石室、副葬品として1号石室からは直刀1振、直刀装具残片、鉄鏃、石製小玉2個が発見されています。
さらに、2号石室からは直弧文鹿角装具鉄剣1振、同鞘残片、鉄鉾1本、鉄鏃21個、素文鏡1面、菅玉2個、瑪瑙丸玉1個、硝子丸玉3個、硝子小玉1個が発見されており、副葬品の多さと豪華さから、被葬者は初期飛騨国造とも云われています。
冬頭大塚古墳は貴重な事から高山市指定史跡に指定され、副葬品は高山市指定文化財に指定されています。
又、日本書記には飛騨地方の両面宿儺が朝廷に対して反乱したとの記載があり、これが事実とすれば、古代の飛騨地方は独自の文化圏や政治勢力があった事が想起されます。
律令制下では数多くの古代寺院が開創され、特に国府、古川盆地では発見されているものだけでも8ヵ寺もあり、飛騨国の文化の中心地だったようです。
飛騨国府の跡地は発見されていないものの、旧国府町では「こう峠口古墳」をはじめ300基余の古墳が点在し、国府を想起される地名が残されています。
奈良時代になると国府は高山に遷されたと見られ、周辺に国分寺や国分尼寺が設けられています。
一方、高山市内には延喜式神名帳に式内社として水無神社、槻本神社、荏名神社、荒城神社、阿多由太神社、栗原神社が記載されており、古くから格式の高い神社として認識されていたようです。
特に水無神社は名神大社と格式が高く、飛騨国一宮に格付けられ飛騨国祭祀の中心的な役割を担いました。
又、境内背後の位山は宮川の水源地で山頂には奇岩怪石が多い事から古代から自然崇拝の対象だったとも考えられます。
平安時代後期頃に平時輔朝臣が飛騨守として入部し三仏寺城を築いて拠点とし、永和元年(1141)には近江国に鎮座している山王日吉信仰の中心である日吉大社から御霊を勧請し日枝神社を創建したと伝えられています。
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その後も平家一族が当地を支配していた為、治承5年(1181)には木曽源氏の源義仲から侵攻され三仏寺城も落城しています。
鎌倉時代に入ると多好方が地頭として入部し、荒城神社の例祭で奉納される獅子舞や鉦打を伝えたとも云われています。
多好方は平安時代後期から鎌倉時代初期の雅楽家で、建久2年(1191)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝に招かれ、鎌倉に鎮座している鶴岡八幡宮で神楽の秘曲宮人を披露しています。
それにより神感があり、瑞祥があった事から、幕府の命により、建久4年(1193)に鶴岡八幡宮に仕える大江久家等に秘曲を伝授、その功績により飛騨国荒木郷の地頭職を拝領しています。
一方、鎌倉時代の三仏寺城の城主として地頭の藤原朝高、畑六郎左衛門安高の名が伝えられています。
室町時代に入ると飛騨国司である姉小路氏が北飛騨、飛騨守護職の京極氏が南飛騨を支配する二元体制になりました。
時代が下ると、姉小路家は三家に分裂、土豪だった江馬氏と、京極家の被官だった三木氏が台頭し、三極が派を争いました。
永正年間(1504〜1521年)には三木直頼が当地まで侵攻し、三仏寺城も接収しましたが、永禄7年(1564)には甲斐武田家の圧力を受け、三木新左衛門は自ら城に火を放し当地を後にしています。
結果的に天正10年(1582)に三木家によって飛騨国は統一、さらに姉小路家の名跡を継ぎ、姉小路姓を名乗るようになっています。
しかし、天正13年(1585)、豊臣秀吉の命を受けた金森長近が飛騨に侵攻し、姉小路氏を滅ぼすと、天正14年(1586)に飛騨国平定を果たしています。
長近は本城となる高山城を築城し、城下町の町割りや社寺の保護、鉱山開発、産業振興等、領内の整備を行い、飛騨国発展の基礎を築いています。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで、金森家は東軍として功績を挙げた事から本領に加え美濃国上有知領1万8千石と河内国金田領3千石が加増され、高山藩を立藩しています。
その後も歴代金森家は領内開発に尽力しましたが、元禄5年(1692)に6代藩主金森頼時が上山藩に移封となり、高山藩は廃藩、高山城も廃城となっています。
飛騨国は幕府直轄の天領となり、高山城の城址の麓に改めて高山陣屋を設けると、引き続き飛騨国の政治、行政、軍事の中心となり、明治維新まで177年間、25人の代官が赴任しています。
現在でも当時の町並みが色濃く残り「高山市三町」と「高山市下二之町大新町」が「伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの」との評価を得て国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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