高山市: 飛騨一宮水無神社

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概要・歴史・観光・見所
飛騨一宮水無神社(高山市)概要: 飛騨一宮水無神社は岐阜県高山市一之宮町大野郡宮村字石原に鎮座している神社です。飛騨一宮水無神社飛騨一宮水無神社が何時頃から祀られているのかは判りませんが、背後に控える位山(標高:1529m)が信仰の初源とされ、境内前に流れる宮川の源流は位山の伏流水とされ、中腹から山頂にかけては奇岩怪石が数多く点在、日本の表裏を分ける分水嶺として古くから神体山として信仰の対象となっていました。位山にある一位(櫟)は御笏として朝廷に献上するのが慣わしとして、最古の記録では平治元年(1159)から見られ現在でも歴代天皇御即位に献上されています。又、新古今和歌集で源通親(土御門内大臣)が、「位山あとをたづねてのぼれども 子を思ふ道になほ迷ひぬる」と詠んでいることからも鎌倉時代初期には中央にも聞こえる存在だった事が窺えます。

飛騨一宮水無神社は格式が高く、「日本文徳実録」によると仁寿元年(851)正月に従六位上に列格したとされますが、明確な記述が無く、実際に「水無神」としての記録的な初見は「日本三代実録」で、それによると貞観9年(867)10月5日に従五位上に列格した事が記載されています。その後も「類聚国史」によると貞観10年(868)7月27日に正五位下に、「日本三代実録」によると貞観13年(871)11月10日に正五位上、貞観15年(873)4月5日に従四位下、元慶5年(881)10月9日に従四位上に列格し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されました。飛騨国で延喜式神名帳には式内社が8社記載され、「水無神」は小社ではありましたが、最上位に記載されている事から飛騨国の神社の中で最も格式が高い一宮、又は総社として国事の祭祀を司る立場にありました。

飛騨一宮水無神社は朝廷の権威が失墜すると衰微しましたが建保2年(1214)に鎌倉幕府により社領が安堵されると再興し、最盛期には周辺18カ村3千7百石が社領となり、12人の神官が務めていました。歴代領主からも崇敬庇護され、弘安4年(1281)には地頭朝高が洪鐘を寄進し、天文23年(1554)には後奈良天皇震筆の紺紙金泥大般若経を奉納、領主である三木家と神官である一宮家は縁戚関係を結んだ事で社運も隆盛します。天正10年(1582)に三木家の後ろ盾だった織田信長が本能寺の変で自刃すると、織田家臣である佐々成政に与した為、対立関係にあった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の家臣金森長近の侵攻を受け、天正13年(1585)に三木家は滅亡、飛騨一宮水無神社も兵火により多くの社殿が焼失し、さらに庇護者を失った事で衰微しました。

飛騨一宮水無神社はその後再興され江戸時代初期の慶長12年(1607)に高山藩(藩庁:高山城)の藩主金森長近が拝殿造営するなど庇護した事で再び信仰を広めました。元禄5年(1692)に6代藩主金森頼時が上山藩(山形県上山市)に移封され高山藩が廃藩になり天領になった後も、高山天領陣屋に勤めた代官や、郡代が崇敬庇護しています。江戸時代中期の安永2年(1773)に発生した「大原騒動」では当時の神官だった山下和泉や森伊勢など4人が騒動に参加した事もあり、飛騨一宮水無神社の境内が一揆の集会場となり、一揆が鎮圧された後の安永7年(1778)には山下和泉、森伊勢の両名が捕縛され境内の貸出と騒動成功の祈願を行なったとして処刑されています。

その後、飛騨一宮水無神社には信州(現在の長野県)から梶原伊豆守家熊が召喚され、一揆の思想になったと思われる神仏習合の思想を取り除き唯一神道として境内を一新しました。飛騨一宮水無神社は古くから神仏習合し境内には本地堂が設けられ、本地仏として釈迦像が安置、「水無大菩薩」などと号し、阿弥陀堂や鐘堂、仁王門なども建立されていましたが、大原騒動後に破却されています。明治時代初頭に発令を経て、明治4年(1971)国幣小社に列し、明治10年(1877)には国費により社殿が造営されています。明治時代に入ると江戸時代に中山道の宿場町である馬籠宿の本陣職を勤め、島崎藤村の父親でもある島崎正樹が宮司を勤め「きのふけふ しぐれの雨と もみぢ葉と あらそひふれる 山もとの里」の歌を残しています。

飛騨一宮水無神社は社宝が多く、木造神像(50躯)は平安時代から随時作成されたもので、男神像のみ、像高22.8〜74.5cm、岐阜県指定重要文化財に指定されています。境内に生える大スギは推定樹齢800年、樹高45m、幹周6.3m、枝張20m、貴重な事から岐阜県指定天然記念物に指定されています。水無神社の神事芸能は毎年5月1・2日の例祭に奉納されるもので、鳥毛打・宮踊・獅子舞は貴重な事から岐阜県指定重要無形民俗文化財に指定されています。絵馬殿は旧拝殿として慶長12年(1607)に高山藩主金森長近が造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行5間、梁間4間、外壁は柱のみの吹き放し、江戸時代初期の社殿建築の遺構として貴重な事から高山市指定文化財に指定されています。主祭神:水無大神(御歳大神)。配祀:大己貴命、三穗津姫命、応神天皇、高降姫命、神武天皇、須沼比命、天火明命、少彦名命、高照光姫命、天熊人命、天照皇大神、豊受姫大神、大歳神、大八椅命。

飛騨一宮水無神社の文化財
・ 絵馬殿(旧拝殿)−慶長12年−高山市指定文化財
・ 飛騨一宮水無神社の神事芸能−岐阜県指定無形民俗文化財
・ 木造飛騨一宮水無神社神像-平安〜鎌倉-岐阜県指定重要文化財
・ 大スギ−推定樹齢800年−岐阜県指定天然記念物

飛騨一宮水無神社:写真

飛騨一宮水無神社境内正面に設けられた石造鳥居と石造社号標
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飛騨一宮水無神社参道石段から見上げた石鳥居と石燈篭 飛騨一宮水無神社境内の砂利と石段、石燈篭 飛騨一宮水無神社神門と回廊と燈篭 飛騨一宮水無神社神門(神社山門)と回廊と石段
飛騨一宮水無神社拝殿と回廊と銅製燈篭と石造狛犬 飛騨一宮水無神社回廊と立派な大杉 飛騨一宮水無神社回廊と神池と石垣 飛騨一宮水無神社旧拝殿だった歴史が感じられる絵馬殿
飛騨一宮水無神社絵馬殿のアップ 飛騨一宮水無神社境内にある大木の切株 飛騨一宮水無神社正面に設けられた社号標と杉の大木 飛騨一宮水無神社の境内社である白山社


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