荒城神社(高山市)概要: 荒城神社は岐阜県高山市国府町宮地に鎮座している神社です。荒城神社の創建は不詳ですが上代(飛鳥〜奈良時代)に勧請されたのが始まりと伝えられています。
荒城神社の格式は高く、三代実録によると貞観9年(867)には従五位下に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社(飛騨国8座)として記載され、古事記にも飛騨國荒城神社の名が見られます。
歴代領主からも崇敬され鎌倉時代の地頭多好方は例祭である鉦打ちを伝え慶長18年(1613)には当時の領主金森重頼により幣殿が造営寄進されています。室町時代以降は河伯大明神と称されていたが(元禄時代の検地で「除地一反五畝歩村抱河泊明神宮地」とある)、文化年間に旧社号に荒城神社に復しています。
古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治5年(1872)に郷社に列し、明治40年(1907)に神饒幣帛料供進社に指定、大正15年(1926)に県社に列しています。
現在の荒城神社本殿は明徳元年(1390)に建立されたもので三間社流造、こけら葺、室町時代初期に建てられた神社本殿建築の遺構として大変貴重な存在で国指定重要文化財に指定されています。
随身像(2躯)は平安時代に制作されたもので、檜材、一木造、彫眼、胡粉着色、像高左像84.0cm、右像85.0cm、昭和47年(1972)に岐阜県指定重要文化財に指定されています。神像は平安時代前期に制作されたもので素木、像高左像53.7cm、右像57.5cm、昭和31年(1956)に岐阜県指定重要文化財に指定されています。祭神:大荒木之命、国之水分命、弥都波能売神。
荒城神社の文化財
・ 荒城神社本殿 附棟札7枚−明徳元年−国指定重要文化財
・ 鉦打・獅子舞−鎌倉時代発祥−岐阜県指定無形民俗文化財
・ 荒城神社遺跡−縄文時代−岐阜県指定無形民俗文化財
・ 神像(2躯)−平安時代−岐阜県指定重要文化財
・ 随身像(2躯)−平安時代−岐阜県指定重要文化財
・ 獅子頭(9個)-鎌倉・室町・江戸-岐阜県指定有形民俗文化財
・ 鰐口(1個)−岐阜県指定重要文化財
・ 面(4面)−岐阜県指定重要文化財
荒城神社:上空画像
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