飛騨天満宮(高山市)概要: 飛騨天満宮は岐阜県高山市天満町2丁目に鎮座している神社です。飛騨天満宮の創建は平安時代の延喜3年(903)、菅原兼茂(菅原道真3男)が飛騨権掾として当地に赴任した際(事実上左遷)、道真の御霊を勧請し自ら梅の霊木から神像を彫り込み安置したのが始まりと伝えられています。
延長元年(923)、兼茂が無罪が認められ京に戻る際、神像を住民に託し以後、天満宮として祀祭されるようになったとされます。歴代領主からも崇敬庇護され、安土桃山時代の天正年間(1573〜1592年)には松倉城の城主三木自綱が再興しています。
江戸時代に入ると歴代高山藩(藩庁:高山城)の藩主金森家から崇敬庇護され、正保2年(1645)には3代藩主金森重頼が病気平癒の祈願を行い、見事完治すると社殿を再建しています。
元禄2年(1689)には6代藩主金森頼時が武運長久と五穀成就、万民快楽を祈願して社殿を造営、その際奉納された石鳥居(石造春日鳥居:柱間2.13m、礎石上より中貫下端まで1.85m、礎石の高さ0.35m、寄進者:和仁喜兵衛、信州伊那谷出身の石工作)は江戸時代初期の石鳥居として貴重な事から名称「天満神社石造鳥居」として昭和39年(1964)に高山市指定文化財に指定されています。
元禄5年(1692)に金森頼時が出羽国上山藩(現山形県上山市)に移封した後は高山陣屋に配された代官や郡代が庇護しました。
毎年4月15日の飛騨天満宮の例祭で奉納される獅子舞は江戸時代から続けられ、明治時代に兀下徳之(徳兵衛)と祐成總右ヱ門の兄弟が発展させたもので「徳兵衛獅子」の別称があり、名称「飛騨天満宮獅子舞」として昭和59年(1984)に高山市指定無形民俗文化財に指定されています。
飛騨天満宮神門は切妻、銅板葺き、一間一戸、薬医門。拝殿は木造平屋建て、入母屋、正面千鳥破風、桁行3間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。本殿は一間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造り板張り。祭神:菅原道真。
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飛騨天満宮:上空画像
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