関市・歴史・観光・スポット

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概要・歴史・観光・スポット

関市(歴史)概要: 関市千疋に位置する塚原遺跡では、縄文時代早期の屋外炉8基、縄文時代中期の竪穴式住居17軒、掘立柱建物19軒、土器捨場5基、蒸焼場7基、古墳時代後期の古墳16基、古墳の周溝11条、石室の前の穴4基が確認され、貴重な事から関市指定史跡に指定されています。

関市内には古墳が多数見られ、池尻大塚古墳をはじめ、小瀬方古墳や砂行1号古墳、片山古墳群、落洞古墳などが確認されています。

池尻大塚古墳は7世紀前半に築造された方墳で、1辺22mから24m、2段築成、石室は巨石を用いて、被葬者は美濃国の豪族で隣接する武儀郡衙と関係が深いムゲツ氏とされます。

ムゲツ氏は牟宜都氏や身毛津氏とも表記され、押黒弟日子王を祖とし牟儀都国造だったとされます。

白鳳時代(645〜710年)にはムゲツ氏が氏寺となる弥勒寺を建立し、さらに居館が官衙的な役割を果たした為、当地は周辺地域の行政、文化の中心として発展しました。

後裔である身毛広は天武天皇元年(672)に発生した壬申の乱の際、大海人皇子の舎人として美濃国の豪族を味方に付け、3千の兵を集めたとされ、その功績から80戸の封戸が与えられています。

養老元年(717)には押黒弟日子王の父神で、景行天皇の御子神である大碓命の御霊が勧請され、武芸八幡宮が開創されています。

武儀郡衙跡と、ムゲツ氏の居館跡、ムゲツ氏の氏寺跡が同じ区域で確認され、貴重な事から国指定史跡に指定されています。

鎌倉時代に入ると美濃路や飛騨路、奥美濃路などが開削され、それらが分岐する交通の要衝として重要視され、関所が設けられた事が地名の由来になったとも云われています。

別説としては景行天皇が武芸国造に命じて関所を設けたことが関の地名の由来になったとの説もあります。

又、良質の砂鉄の産地だった事から寛喜元年(1229)に伯耆国檜原から、砂鉄を求めて刀匠だった元重が当地に入って刀を打ち始めた事が関刀鍛冶の発祥とも伝えられ、以来その技が受け継がれ多くの名工が輩出されています。

元重の娘婿である千手院包永が開基となり開創したと伝わる千手院の境内の一画には元重翁之碑が建立されています。

室町時代には土豪達が割拠し、特に長井氏は美濃国守護代斎藤家の重臣として重きを成しました。

長井藤左衛門長弘の代には斎藤利良が幼少だった事もあり、その任を補佐し実権を握っています。

リメイク版の関市の動画

しかし、美濃国守護職の土岐政房が次男頼芸を後継者として擁立し、長弘がそれを支持した事で、嫡男頼武を擁立した斎藤利良とは対立し、土岐家の家督争いが発生しています。

永正14年(1517)には大きな戦となり、土岐頼武方が勝利したものの、永正15年(1518)の合戦では長弘方が勝利しています。

永正16年(1519)に越前国守護職朝倉氏の後ろ盾を得た頼武が復権、長弘は大永5年(1525)に長井新左衛門尉等と共に、下克上を敢行し土岐頼武と斎藤利武の排斥に成功、事実上美濃国の実権を握っています。

享禄元年(1528)に長弘は安桜山城を築きましたが、天文2年(1533)に新左衛門尉、又は、その子供である斎藤道三によって謀殺されています。

一方、安桜山城には長弘の子供、又は甥と思われる長井隼人佐道利が城主となっています。

道利は、当初、斎藤道三に従いましたが、その後は斎藤義龍の重臣として活躍、義龍が死去すると半独立した立場となり、独自で武田信玄と友好関係を結んでいます。

永禄10年(1567)に織田信長の美濃侵攻で、稲葉山城が落城すると、斎藤龍興と共に伊勢国に逃れたとも云われています。

その後、道利の家臣だった大島光義は織田信長に従い、主要な合戦に従軍し功績を挙げ地位を確立しています。

天正10年(1582)に発生した本能寺の変で織田信長が横死した後は紆余曲折あり、結果的に豊臣秀吉に従い朝鮮の役後に加増され1万1千2百石を安堵されています。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは東軍に与して大功を挙げたようで、次男光政と三男光俊が西軍に付いたものの、1万8千石に加増され関藩を立藩しています。

しかし、慶長9年(1604)に光義が死去すると跡を継いだ嫡男大島光成が弟達と遺領を分割し7千5百石になった事から関藩は廃藩となり自身は旗本となっています。

江戸時代に入ると関市内は天領や尾張藩領、複数の旗本領に分割支配され、旗本は池田氏、村瀬氏、松平氏、西尾氏、金田氏、迫間大嶋氏の諸氏が連ねました。

関村は引き続き飛騨路と奥美濃路が交差する交通の要衝、長良川舟運の拠点となり、中濃の物資の集積地として大いに賑わいました。

又、中世以来の刀や金物生産が盛んな地域で、刀の需要は減ったものの包丁等、形を変えながらも多くの鍛冶師が健在し、それを求めて多くの人達が行き交い、中心部は20余の町による町場が形成され、享保年間(1716?1736年)には人口が3800人を数えています。

現在も、町屋建築が点在し懐かしい町並みを見る事が出来ます。

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関市・町並み:写真

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関市・歴史・神社・寺院・古民家・城郭

関善光寺
関善光寺
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千手院
千手院
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弁慶庵
弁慶庵
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新長谷寺
新長谷寺
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豆木地蔵
豆木地蔵(法然寺)
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春日神社
春日神社
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蓮華寺
蓮華寺
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梅龍寺
梅龍寺
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小松寺
小松寺
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迫間不動尊
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日龍峰寺
日龍峰寺
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元重翁之碑
元重翁之碑
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武芸八幡宮
武芸八幡宮
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豊川閣
松雲院豊川閣
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塚原遺跡
塚原遺跡
塚原遺跡
円空入定塚
円空入定塚
円空入定塚
弥勒寺
弥勒寺
弥勒寺
弥勒寺跡
弥勒寺跡
弥勒寺跡
弥勒寺官衙
弥勒寺官衙遺跡
弥勒寺官衙遺跡
 
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