蓮華寺(関市)概要: 蓮華寺の創建は不詳ですが源頼政の菩提を弔う為、山県国直の妹が開いたのが始まりと伝えられています。伝承によると治承4年(1180)、平家全盛の当時、源頼政(摂津源氏の源仲政の長男。源三位や馬場頼政の別称)が以仁王(後白河天皇の第3皇子)と共に平家打倒を画策しましたが、計画途中で露呈し兵力が整わない中で挙兵しました。しかし、圧倒的な兵力差は覆せず宇治平等院(京都府宇治市)の戦いで敗北、頼政は辞世の句「埋木の花咲く事もなかりしに身のなる果はあはれなりける」を残して自刃、享年77歳。
頼政の首は家臣の1人が頼政の伯父である山県国直の領地である現在地にまで運び出し塚(首塚:現在は土盛の頂部に五輪塔が建立されています)を設けて葬られたと伝えられています(一般的には自刃した宇治平等院に葬られたとされますが、頼政の墓(塚)は茨城県古河市の頼政神社や京都府亀岡市西つつじヶ丘の頼政塚、兵庫県西脇市の長明寺にあります)。その後荒廃しましたが寛文6年(1666)、尾張名古屋藩の家老職を歴任した石河家の菩提寺として再興されています。
石河家は清和源氏頼親の後裔とされ戦国時代には織田信長から豊臣秀吉、徳川家康に仕え、慶長15年(1610)に1万石が与えられ、慶長17年(1612)に尾張藩主徳川義直の付家老、その後、名古屋城代を経て尾張徳川家の家老職を歴任しました。
蓮華寺は石河家の菩提寺として庇護され寺運も隆盛し、石河家菩提所(101基)は平成7年(1995)に関市指定史跡に指定されています。美濃新四国八十八ヵ所霊場第八十四番札所(札所本尊:阿弥陀如来)。宗派:真言宗智山派。本尊:阿弥陀如来。
蓮華寺:上空画像
|