武芸八幡宮

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概要・歴史・観光・見所
武芸八幡宮(関市)概要: 武芸八幡宮の創建は養老元年(717)、泰澄が開いたのが始まりと伝えられています。その後衰退しましたが観応2年(1351)に森又太郎源泰朝(森蘭丸の祖先)が社殿を再建しています。以後、社運は隆盛し境内には五重塔や鐘楼など多くの社殿、堂宇が建ち並び、最盛期には12坊(不動、清寿、大日、斉昌、宝珠、地徳、延命、普春、成寿、正蔵、大聖、寿教)を擁する大社(大寺)となりました。歴代領主からも崇敬され藤原利隆(美濃守護代)、藤原基就(同)、藤原利茂(同)などが禁制を発布しています。

永禄10年(1567)、織田信長が美濃を制圧すると、居城である岐阜城から見て武芸八幡宮の境内が北東にあたる為、鬼門除けの鎮守社として篤く崇敬し「下馬標」(永禄5年:1562年建立、高さ1.4m、幅0.39m、岐阜県指定重要文化財)を建立し社領の安堵をするなど庇護します。信長が安土城(滋賀県近江八幡市安土町)に移り、岐阜城には嫡子信忠が入りますが信忠の同様に庇護し、本能寺の変後に城主となった信孝も社領の安堵状を出しています。江戸時代に入ると幕府が庇護し武芸谷惣社として社領9石を安堵しています。古くから神仏習合し、別当寺院として大聖寺が祭祀を司ってきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により社号を武芸八幡宮に改め明治6年(1873)に郷社、大正11年(1922)に県社列しました。

現在でも境内には神社山門(随神門)の他、太鼓楼が残され神仏習合時代の名残が見られます。例祭である「花馬まつり」は造花背負った馬が境内に駆け込み、参拝者達がその造花を取り合う祭りで、その造花を家の屋根に掲げると「落雷防止」や「家運隆盛」に御利益があると伝えられ奉納される武芸八幡神楽は関市指定無形民俗文化財に指定されています。参道にある大杉は推定樹齢約1000年、樹高38m、目通7.5m、昭和36年(1961)に岐阜県指定天然記念物に指定されています。武芸八幡宮拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行5間、張間3間、外壁は柱のみの吹き放し、腰壁は縦板張り。武芸八幡宮本殿は三間社流造、銅板葺き、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造板張り。武芸八幡宮神門(随身門)は切妻、銅板葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、左右には随神像が安置されています。祭神:応神天皇(誉田別命)。

武芸八幡宮(拝殿・神門):写真

武芸八幡宮境内正面に設けられた大鳥居と石造狛犬と石燈篭
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武芸八幡宮大鳥居に隣接する御旅屋 武芸八幡宮参道に設けられた石造神橋(太鼓橋・平橋) 武芸八幡宮参道に建立されている「下馬標」 武芸八幡宮神門(随身門)に続く石段と石燈篭
武芸八幡宮参道石段と大木の並木 武芸八幡宮参道に生える推定樹齢千年の大杉 武芸八幡宮参道沿いの石燈篭 武芸八幡宮拝殿正面と石燈篭
武芸八幡宮拝殿右斜め前方から撮影した画像 武芸八幡宮拝殿と本殿を繋ぐ回廊 武芸八幡宮本殿とそれを取り囲む透塀 武芸八幡宮境内に設けられた鐘楼


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