可児市・歴史・観光・スポット

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概要・歴史・観光・スポット

可児市(歴史)概要: 可児市にある柿田遺跡は弥生時代から近世に至る複合遺跡で、弥生時代から古墳時代にかけての水田跡や条里制の跡、堤防や堰の跡、鎌倉時代の豪族の居館跡、木簡等が発見されています。

藤田坂遺跡からは弥生時代の竪穴住居跡が3軒、掘立柱建物跡8軒、弥生時代中期の土器などが発見されています。

可児市の歴史は古く岐阜県最大級の古墳である長塚古墳や次郎兵衛塚一号墳などが点在し比較的早い時期から開けていたと思われます。

長塚古墳は4世紀後半に築造された前方後円墳で、全長72m、副葬品として石釧、菅玉、琥珀玉、ガラス玉などが発見され、貴重な事から国指定史跡に指定されています。

次郎兵衛塚一号墳は7世紀前半頃に築造された方墳で、一辺29.5m、高さ約6.5m、3つの横穴式石室、2段築盛、貴重な事から岐阜県指定史跡に指定されています。

身隠山古墳群は御嶽古墳と白山古墳の2基の円墳から成る古墳群で、多くの副葬品が発見され貴重な事から岐阜県指定史跡に指定されています。

熊野古墳は7世紀頃に築造された直径20m程の大型円墳で、玄室では岐阜県内最大級の巨石が利用され貴重な事から岐阜県指定史跡に指定されています。

日本書記には景行天皇4年に景行天皇が美濃に行幸した際に市内にある泳宮を仮宮とし、当地の豪族である八坂入彦命の娘、八坂入媛命を后にした事が記載されています。

可児市内には式内社は無いようですが、美濃国内神名帳には正二位大縣明神、従五位上伊夜明神、正六位上高山明神、正六位上澤雁明神が記載されています。

鎌倉時代の市内の詳細は判りませんが、当初は美濃守だった大内惟義の支配下で、承久の乱で大内氏が朝廷方に加担した事で没落すると、幕府執権北条家が支配したとされます。

室町時代に入ると土岐家が美濃国守護職となり、市内には土岐氏の一族である明智氏や久々利氏、可児氏、小池氏、奥村氏などが割拠しています。

明智氏は康永元年(1342)に土岐頼兼が美濃国可児郡明智庄に入部し、明智城を築城、地名に因み「明智」姓を掲げたのが始まりとされます。

久々利氏は鎌倉時代後期に美濃国池田郡を本貫としていた土岐頼清の五男である康貞が美濃国可児郡久々利庄に入部し、久々利城を築城、地名に因み「久々利」姓を掲げたのが始まりとされます。

可児氏は佐々木盛綱、又は足利高経の後裔とも云われ、永禄8年(1565)に森可成が金山城の城主に就任した際、可児秀行は家臣となり、室原城と塩河城の城主を担っています。

リメイク版の可児市の動画

秀行は天正12年(1584)に発生した小牧・長久手の戦いに従軍したものの、徳川軍に敗れ討死、跡を継いだ可児盛行は引き続き森家に従っています。

小池氏は現在の可児市南西部を本貫とした土豪で、天文年間(1532〜1555年)に小池家継が今城を築城、織田信長や森氏に従いましたが、森長可に反抗した事で鎮圧され、帰農しています。

奥村氏は土岐氏支流とされ、戦国時代の当主である奥村元信は久々利頼興の家老となり、その子供である奥村元広は大森城の城主となっています。

元広は周辺の土豪と同様に、織田信長や森氏に従いましたが、森長可に反抗した事で鎮圧され、その後は前田利家に仕えています。

戦国時代に入り土岐頼芸が斎藤道三によって敗れ、土岐家が没落すると、当地は斎藤家が支配し、天文6年(1537)には斎藤正義が金山城を築き、道三の尾張国侵攻の拠点として重要視されました。

斎藤龍興が織田信長に敗れると、織田領となり、永禄8年(1565)に信長に従った森可成が金山城主に抜擢され、以後、可成、長可、忠政と3代にわたり城主を歴任しています。

当初、森氏は土岐氏に従っていましたが、土岐氏の衰退に伴い織田信長に組し有力家臣として台頭し、信長の小姓である森蘭丸を輩出しています。

可成は信長の家督相続前から従っていたとも云われ、信長の前半生の主要な合戦に従軍し数々の功績を挙げています。

跡を継いだ長可も織田家重臣として重きを成し、本領7万石に加え、信濃国川中島周辺4郡20万石が加増され、本領は弟である蘭丸を配し、自らは川中島に本拠地を遷しています。

長可は領内整備にも尽力し、城下町の町割りや六斎市の開催、木曽川舟運の拠点として兼山湊を開いています。

天正10年(1582)に発生した本能寺の変により信州戦線が維持出来ず、長可は旧領に帰還、その後は豊臣秀吉に従うも小牧長久手の戦いで、徳川軍に敗北し壮絶な討死をしています。

跡を継いだ忠政も豊臣秀吉に従い各地に転戦したものの、秀吉が死去すると徳川家に転じ、慶長5年(1600)には長可が与えられた信州川中島領分の13万石7千5百石に加増転封となっています。

江戸時代に入ると森氏は移封となり可児市は天領や尾張藩、旗本領などにより分割され、江戸時代初期には金山藩と徳野藩領がありました。

金山藩は、関ヶ原の戦いの功績で松平忠頼が2万5千石で入封し立藩、しかし、慶長6年(1601)に浜松藩に移封となった為、金山藩は廃藩となってます。

慶長9年(1604)には平岡頼勝が1万石で入封し徳野藩が立藩、しかし、承応2年(1653)に2代目藩主平岡頼資が嗣子が無く死去した事から断絶となり徳野藩も廃藩となっています。

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中川寺
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旧兼山小学校
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六角堂
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小関の清水
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